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母の自伝

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母の自伝

つづき
他の先生方は米ありで食料の心配はなく豊かであったが 主人は着たきり
すずめで 私は洋服の破れに気をもみ 布を買って来て背広をぬった
不細工の事 このうえなし
なのに主人は不足も云わず着てくれた
子供たちも つめえりの服を作ってきせた 家内中が貧乏に耐えた
災いは次々くるもので 長男の寮が火事で焼け ふとんやだいぶん買いためていた本を すっかり焼いてしまった
学校に行っている るすのことだった
私は神戸へ行って ふとんや身の回りのものを買ってやった
長男も一生懸命アルバイトなどして頑張った
ついで 次男が大学に入学し 弟もまだじゅうぶん立ち上がって居らず
長男はその後 粗末な所にすんでいたが 一室を借りてそこより通学した
次男もアルバイトしながら頑張った 相変わらず片づけ知らずで くつが上に上がっているわ 雨がさがころがっているわで 足の踏み場もなく
あいかわらず机の上はものおきで どこで勉強するのかと思い かたづけると どこに何があるか判らぬといっておこる
あのめちゃくちゃの中に どこに整理されているのか理解に苦しむ
兄ちゃんは大学を終えてから研究するため次々と進み とうとう東京へ出
て大学院博士コースまで進み アルバイトと奨学金で頑張った
次男もアルバイトをつづけながら頑張った
引き続き三男も東京に出て大学に進み これもアルバイトをしながら何れも兎に角 大学を終わって就職をした
末っ子の憲子も のんびりと高校を終えて 東京に出て長男の勤める大学に入学した


三人の兄たちが 神戸や東京に出て 大学に行く
考えてみれば 大変な事ですね
私はその親の大変さをしっかりとはわかっていませんでした
私の時には 父も三人の男の子を就職させ 少しはらくになったのでしょうか ちいさなからだにダブルの背広を着て お父さんっておしゃれしたいんだなあ と思っていました それがおそがけにやっときた おしゃれだったとは
母も婦人会に出て 洋服をぬってもらったりでした
私はそういう母が あまり好きではありませんでした
しかし 婦人会に出て 友だちや仲間も出来て お米も分けてもらうようになり それは 母のたくましく いいところだったのだと 今はこうして母の自伝を読んでいて思いますね ありがとう
「頑張った」ということばが なんども出て来ますね
戦争という戦い つぎに食うという戦い そして子供たちを上の学校にやるという戦い それは「頑張る」というところで その時代の 母が一番力を発揮した時代だったのでしょう 
《 2020.08.21 Fri  _  思い出 》