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母の自叙伝

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母の自伝

つづき
そのころ あづけていた里の方は(島根県 勲をあずけていたところ)日本海にめんしているため飛行機(敵機)で来るようになり 姉は心配だから子どもをつれて帰ってくれといいだし 可愛い盛りだったから 里の兄は自分にくれといい 姉も自分にくれといい 兄弟があらそっていたが 私は子供を手放す事はぜんぜん考えた事もなく 早く連れ帰っておこうと
いよいよ決心をし 三男をつれ 苦労を共にした先生方と別れて 帰途についた
その後どこの先生にもまだ一度も会った事はない
途中で湯村温泉までやっとたどりついた 主人と長男が疎開している所
勲は黒大豆いりを食べては水を飲んでいた
腸をこわし 下痢になり とうとう湯村で医者がよい しばらく動けぬ
状態になりやっとよくなりかけた所で出発し 姫路で足止めをくい
危険だから汽車にのらぬよう云われたが かくれてのり幸いに汽車が出て
あちこちで足止めで 駅で止まったりでやっと三方にたどりついた


黒大豆いり 乳飲み子にこれは無理でしょうと 私は 今は亡き母に
意見をしています 三男としばらくはなれていたので おっぱいもでなくなっていたのでしょうか
乗り物も 足止めをくって 三方(父の里)は汽車を降りてから バスでのりついでかえらなくてはなりません 母はとにかくその日のうちに
のりついで三方にかえりたかったんでしょうね 歩いて帰るには遠すぎますからね
しかしこの母子が爆撃に会わなかったのは 幸いでした
乳児の頃にこうした状況だった三男は 私のすぐ上の兄ですが 学校に行くまでは成長がおくれぎみだったといいます
気難しい兄でしたが こういう事を考えると もしかして 小さいときの影響があったのではないかと思います 戦時中での小さな子供たちは
兄のように 無事育つのも 大変な事だったのでしょうね

この写真ですが 「忘れない」これはジョー・オダネルというアメリカ人のカメラマンが撮った写真だと思います
背中に亡くなった幼児を(弟)おんぶして 焼き場にたっている 一少年
私はこの記事になった写真をみて 強く心を動かされました
多くの人々がやはりそうだったみたいで 世界でもこの写真をみた人たちは そういうふうだったということでしょうか
小さな弟は ねむっているようでもあります この新聞記事は眼につくたびに 今もこういう子供らがテロなどで 死んでいると思います 悲しいですね
この記事の「忘れない」だけがここでは写っています



《 2020.08.17 Mon  _  思い出 》