母の自伝
つづき
戦争は厳しくなり 私たちのいる三朝の温泉に軍部より来られる事になり
私たちは もっと山奥の温泉のない所に 移動する事になった
私は姑からからだの具合が悪いと云われているので このさい子供を連れて帰ることに決心した
朝には次男もつれていっていた 小学校一年に入学したばかりで
一時主人の所の(疎開先)小学校にも入れていたが一緒に連れて行った
ごんたで こんな学校きらいや 三方の(父の里)学校がいいから行かぬとごてた 担任の先生もてこずられた
宿の前には大きな川があって さけでもあがってくるところと云われている程 大きな川だった
そこへ一度魚とりにつれていくと たくさん魚がいるので おおよろこび魚とりが何より好きだったので 気に入って ぼく三方に帰らんとおる
と言い出したので ほっとした
それから毎日学校から帰ると夕方まで川で遊んで帰らず 三方へ行くとは云わなくなった
学校はやめて子どもたちのために三方に帰る事にきめ 先生方ともお別れして おばあちゃんもからだがわるいことではあるし 三男の勲を私の実家のある(島根県)姉にあづけることにした
次男は一応おばあちゃんと三方にかえらすことにした
帰るようになってから靖(次男)がおらず さがしまわっていたら 川に行って遊んでいる そのうえ その頃貴重品になっていた運動靴を片方川に流し大騒ぎしたけど 大きな川でなかなかとれず困っていたら 若い人が川に入ってとってくださった
やっとのことでぬれたくつをはかせて 送り出し 私はもうしばらく勤めていた
*
神戸大空襲が この話では それが終わった後なのか まだなのか
私は わからなくなっています
小さな子供を抱えた母は とうとう 祖母のからだのこともあり
学校を辞めようと思うのですね
やっと念願お師範学校を出て 小学校の先生になったものの 戦争で
大変な道のりになるのですね
何がおこるのか 命さえあぶない
そんななかでも 子供は川が気に入り 毎日が その事で頭がいっぱい
祖母は病気になり 祖母は孫の世話をそんななかで がんばっていたのですね ここらへんのくだりは 経験していないので 様子がわかりにくいのです
写真はあいかわらず 私のとったものですが あのころもあいかわらず 川はながれ 青空があったんでしょうね
カワバタさん作のポーチもみえています