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母の自伝

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母の自伝

つづく
戦争は日増しにはげしくなり 空襲は夜となく 昼となくつづいた
私は子供たちの将来を思い いかにしてわが子たちを守るか 必死だった
学童疎開がはじまり食料は日ましに減り 生活必需品も次第に乏しくなった その日に食べるものは減って行った
生徒は縁故をたよって 田舎に疎開する者もふえていった
学校でも校庭に防空ごうをつくった 日々何回となしに生徒をひなんさせて 家に送った
家でも長男の武は主人と共に集団疎開に行かせ 次男は祖父と共に祖父母の田舎に疎開させた
まだ乳のみごだった三男の勲も祖母とともに田舎へ疎開させ 私一人家にのこって学校に通った
里の兄たちは自分たちだけ 安全な地にひなんしたといって怒り 家にかえってこいと次々いってきた
途中で空襲も少し減ったので 三男は祖母とともに神戸に出て来た
またまた空襲がはげしくなって 私は生徒をひなんさせると 走ってかえって 子供をせおって学校の防空ごうにつれていった
こんなことをしていては つとめもできぬので また祖母とともに田舎にかえし 独り身軽になって空襲とたたかった
明かりが亡くても着用できるように 衣類をまくらもとにならべた
ひとりで防空ごうも庭にほった
知人をたよって荷物を田舎に送り出すことになり 一生懸命につくり しんぐときものだけを のこして すっかり荷物をまとめ オルガンなど大きいものは近所の人にあげた ともだちなどもピアノなどは 置きっぱなしだと云っていた
あす送りだすだんどりをしていた夜 三月 阪神方面は大空襲あり何一つ持ち出せずぼろぐつはいて 命からがら山の方へひなんした
服のすそがやけて ぼろぼろになった
子供 親を見失ってたくさんの子供たちが山の方へつづいていく
子供を見失って名前をよびながら 泣き叫ぶ母親
道にはとても人間とは思えぬ 木の焼けたような死体がゴロゴロと転がっている 近所の人もたくさん死亡された
常々死ぬるときは死ぬんだと 消火に協力しなかった近所のおじさんがいて死体さえなく おばあさんはわずかに顔が残っていたので本人とわかったくらい 
若い奥さんが子供をおぶったまま焼死され 若い夫が気が狂ったように泣きながらやけあとを探している人 
とてもこの世のものとは思えなかった
昨日までなりひびいていたサイレンは 一本だけぽつんとたち あわれな音をたて 山から見る神戸の町並みは兵庫の駅まで たてものすべてやけおちて 一望に見え あわれなサイレン音をきいて 
心のうちで この戦争はまけだと痛感した
私は子供たちを全部疎開させていた
身一つならなんでもなる 兎に角家はあとかたもなく 水を入れて置いたお釜さんが ふたはやけ カマだけポツンと残っていた
祖父がもって来ていた農具も柄はなく 先の方だけやけのこっていた
何となし ほっとした 荷物のあるときは安全な地にと思っていたが
これでさっぱりした 
主人の大切な本もみんなやいた
からだ一つがのこったことを感謝しなければならぬ
これから我が身一つを守ればよい
家もなし 何もなくなった ホッとした


この神戸大空襲の話は いくどとなく母から聞きました
それでも こうして 書き写してみますと さらに伝わって来ます
母だけが 神戸に残った 学校のこと家の事 母は祖父母や 父にあずけて 子供たちをとにかく 安全な所にまずやりたかったんじゃないでしょうか
あずかってくれる人がいないと どうにもなりませんからね
母の里では 母だけを あぶないところにおいたというふうに怒っていますね あのなかでとった家族の選択は 母が幸いにも無事だったので よかったと思います
しかし 無事だったのが不思議なくらいですね
飛行機から爆弾をおとす その下にはこんな地獄のようなできごとがあるんですね
母は 自らがみた事を 書いていますね
戦争反対とは いわなかったけれども この自伝が充分にその言葉を
伝えているような気がしますね
兄は後に私に言いました 「おかあさんは すすだらけの顔をして ボロボロの服で ぼくらのところにかえってきたんだよ」と


《 2020.08.14 Fri  _  思い出 》