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母の自伝

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母の自伝

つづき
武は(長男)ひるは両親(祖父母)と遊んだが夜出かける時には
かくれて出ても後を追った
幼い子どもをおいてでるつとめは つらかった
次男が誕生した頃には私も大分なれて 武はおばあちゃんとねるようになったが ときどきふすまごしにのぞいて淋しい顔をした
私は可哀想で涙が出た
次男はげんきで 気に入らぬ事があると大声を出して泣きわめいた
兄ちゃんはおとなしく 弟はごんただった
姑さんはいつも兄ちゃんはお父さんに似ておとなしいが弟はお母ちゃん似で手におわぬといつも云われた
これは大きくなるまでついていて 勉強がよくできると ちゃんとお父ちゃん似になり わるいことをするとお母ちゃん似になるのだった
何かにつけて両親は主人を大事にし子供のように大事にした
夏など暑い日には 主人がかえるとすぐに こっぷの半分くらい砂糖を入れてつめたい水をのませ うちわであおぎ 汗をふき 「えらかったやろう」と大事にする
同じつとめを持つ私は ちっともえらくないのである
里の母が来ると 母は子のかわいいのは同じで 自分の息子だけを大切にするといって怒るのである
私はなれているので なんとも思わず 心配する事ないといって
母をなぐさめるのである
時に腹が立っていたしかたがないことがあっても すべて可愛い息子のためにたえた 母にもこんなこと平気だからといってなぐさめていた 


いよいよ 結婚生活もはじまりました
父は 祖父母が十年目に やっと出来た一人っ子です
父は大事に大事に育てられたんでしょうね かたや母は7人兄弟
そんな二人というより 嫁姑という二人 大変ですね
しかし 女は子供を育て 孫のめんどうをみる 実際の事は
ほとんど女のやらなけれればならないこと 祖父や父は そっと
だまっていたんでしょうかね
孫は 上と下では また性質がずいぶんちがっていた
これも加えて 闘いの火花が
兄弟は ここのあたりから 競争をして行くようになっていたのかもしれません 
母は 学生時代はあんなに活発だったのです それが後に そんなに明るくはいけなかった 
いろいろあるのですね 
母にとって 一番輝いていた時 はっきり言い切っていますね
母は父と仲が悪い訳ではなかったように思いますね
嫁姑の関係も 負けん気で はねとばし 
しかし影響は出るのですね
自分は 思い返している所なんです
私も なんとかやってきましたが 子供たちにも影響は出ています
それぞれ この世で経験する事ですね
それも みんなそれぞれ だけど なにかある
同じなんですね


《 2020.08.12 Wed  _  思い出 》