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母の自伝

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母の自伝

つづき
私は裁縫が苦手であった それに鬼婆(裁縫の先生)がきらいだった
二年に入学すると自分の着るセーラー服とスカートを自分で縫わねばならなかった ミシンも苦手だった
姉ならすばらしい服を作るのに 今さらおうえんもしてもらえず出来上がった 服はいくらひいきめにみても不細工だった
裁縫の先生は二人で ひとりは仏様のようにおだやかな先生だった
その先生の裁縫のときは公然とうしろむきになって 後ろの人と時間が終わるまで仕事はほったらかしで みんなこの時間を楽しみにしていた
先生はお年もめしていたが いすにかけて 仏さんのような顔をしてコックリコックリしておられた
そのかわり 一学期の時 何一つ出来上がったものはなかった
おかげで他の学課にくらべ どうしても裁縫だけはよい点がとれなかった

母と弟と三人の生活は苦しいながらも大変楽しい生活だった
私は力いっぱい学校の生活に熱中し 校長先生にも大変かわいがって頂いた 家にかえれば母が夕食の用意してちゃんと待ってくれた
弟はアルバイトで大変な時期であったが 一向に弱音をはくことなく頑張った 毎晩十二時ごろにかえり母が待っていた
それから自分の勉強にはげんだ
その意志の強さと頑張りは敬たんした
後一年で学校の終わる年に私は結婚した 弟が卒業するまでは 結婚しないときめていたが 後一年弟のめんどうを見る事などいろいろの条件を受入れてそのうえの事だった
主人の両親は田舎のほうにかえり二人だけのともかせぎの生活がはじまった 翌年には長男が誕生し 田舎の両親は子守りのため家をしめて上神してきて 五人の生活がはじまった
私は子どものことを気にしてつとめに出た


母は弟とお母さんと三人で ちょうどいいぐあいに仕事に出る事が出来た訳ですね おばあちゃんが きっと料理はなれていたと思うし 弟がおそくかえっても 気にせずに明日に備えて寝られます
自分はつい現実的に こういったことは自分だったらどうだろう と考えてしまうからです
母は このように 料理の心配はなかった訳ですが いざ結婚してみるとそういうわけにはいきませんね 
母は姑さんが料理が上手だったと云っていました 何しろもと武家の娘ですからね 裁縫 料理と しっかり教えこまれてるにちがいありませんね
母の一番苦手な裁縫 あーあ 
孫の昼間のめんどうは姑 舅さんがみてくれた訳ですが これも気を使います 姑さんだってなにからなにまで 疲れますね
兄はきっといいおばあちゃんだと おじいちゃんだと 思い出をもった事でしょう  母はそういうわけではなかった よくある話ですね

アルマジロ どことなくなつかしい おいしいクロワッサンのはいった袋です
《 2020.08.11 Tue  _  思い出 》