母の自伝
つづき
私たちの卒業する頃から不況の波がおしよせ 師範を卒業すれば必ず
就職できるという当然の事が難しい時代になっていた
私は幸いに卒業と同時に 神戸市内の学校に就職できたが 友だちのうちにはだいぶん就職ができなくて自宅たいきの人が多かった
五、六月ごろまでには夫夫就職がきまったというので本当に安心した
私の神戸時代が今から考えても人生の花の時代だった
私もやっと独立できた 初任給は四十円だった
一年に五円ずつ昇給するきまりだったが 不景気か三円くらいしか上がらなかった
その間弟との共学の時代もあった
母と三人でくらした貧しい中にも楽しい生活もあった
可愛い教え子がたくさん出来た
いろいろ学校生活にもつらいことが多かったが 兎に角 この時代が人生の花だった
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人生の花 母にとって師範学校の時代と神戸での小学校の先生時代
だったわけですね
母は 自分の生きて来た中での区切りをぽつんということがありましたね
娘の私が 家族を作り 母が我が家にやって来た時にも 「自分の時代は
終わったなあと感じるわ」とかこれは年取ったという事で 元気な私たちが 中央を歩きはじめているという事ですかね
人生の花の時代 これは私にとっては ゴミ拾いに夢中になって 自転車で突入してた時代ですかね(笑い)
このように 長い人生の区切りを知るという事も しみじみとしたものだと 思うのですが お客さんどうですかね
1969年ごろ 母は学校を卒業 就職したのですね(あってますかね?)