母の自伝
つづき
なかなか愉快なげんきな先パイも あのての人の前で平気で大きなオナラをする人もあった
こえて 太い太い足の人は ゾウのカッケした足 などといって追っかけ回された事もあった
セーラー姿のあの若い頃 あの友この友何れも当地の姿のみ 心によみ上がり七十をこした今の姿は思い出せない
中にはこの世にいない友も多くなった なつかしいなつかしい思いで
学校生活だった
今でも年一回のクラス会があるが病気がちになった私はなかなか出られぬ
死ぬまでにはどうしてもみんなに会いたいと切望している
私は夢にまでみたふるさとへ冬休みにかえることになった
うれしさいっぱいだった
トンネルのやたらに多い山陰線にのり トンネルの数をかぞえつつ
汽車のこくえんで 鼻の中は真っ黒 母の顔や姉や兄の顔が目先にちらついて なかなかねつかれなかった
汽車の中で大正天皇崩御をきいた みんなしゅくぜんとした
私の師範に入学したのが大正から昭和になった年になった
私は故郷に帰ったうれしさに 毎日とびまわり 休みのすむまでとうとう宿題の事も忘れて 後で先生に大めだまをくったのである
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大正天皇崩御の年に母は師範学校に入った訳で となると私の計算で行くと17か18歳だと思います
セーラー服だったんですね
母は同窓会には一度くらいしか出ていないと思います 二番目の兄を抱っこしている写真が残っていたように思います
オナラの方も カッケの方も おもしろいですね
美保関に帰る汽車というのは 私も幼い時にのりましたが 鼻の穴が
真っ黒になりますね あついから窓を開けるからよけいにね
それでも 夏休みは 母にとってこれまた楽しい帰省だったのですね
母は 海を相手に思いっきり遊んだはずです 子供のとき母は 海で遊んだ話をよくしてくれました