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母の自伝

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母の自伝

つづき
私は家も遠いし寄宿舎に入った
大きな十畳位の 部屋に古びた机がならび 戸棚もしきられ 小さい机にの上におく本箱などがあたえられた 
はじめて知らない人ばかりの中にはいり 淋しさと心細さにぼんやりしていた
夜休む時 母につくってもらったふとんが暖かく母のにおいがして 懐かしさに涙した
寄宿舎の生活もきまりがきびしく いろいろの行事がきめられていた
みんな直ぐに仲よしになって 冗談の一つも言えるくらいになった
学校がはじまってからも 私の劣等感はつづいた
私は負けまいと一生懸命に勉強した
暫くすると みんな同じで自分だけ卑下することはないという自信がつきはじめた
困ったことは自分の出雲弁であった 生まれ育った所のアクセントや言葉はなかなか抜け切れず 友達によくまねされた
よほどつらかったのか 私の言葉をいつも真似して笑った友を いまでもはっきりおぼえて いまだにセーラー服姿をなつかしく思い出す
そして意外に その友がなつかしいのである
なれるにしたがい 入学試験のときの傑作集が次にひろうされる
音楽の試験の時 先生のピアノの音を聞いてドレミファなどいうのに
ポンポンポンポンといった人があった由
その人は入学したかどうかわからぬが とうとう誰かわからなかった
私も人様のことを笑ってばかりいられぬ
田舎の事なのでソロバンもあまりならっていなかったが やはりソロバンの試験があって ないチエをしぼって 暗算で一生懸命頑張った 結果はどうであったか今考えても冷や汗ものだ


実家を離れたのはいくつのときでしょう
田舎からはじめて出て来て 新しい生活に入るときの心細さは ごらんのとおり あったんでしょうね
私も大学生になって 田舎から東京での寮生活 4人一部屋 2段ベッド
最初は とまどいましたが (人にあわせるのが 苦手だった筈です
それは今になって思うのです) その頃は 慣れるのにあの手この手で
疲れましたね 
母は 出雲弁でからかわれたものの 劣等感も持ったものの 入学試験のソロバンでも 暗算でしのいでいったりして がんばりましたね
それでも 寝泊まりを共にする寮生活は 思い出深いものになったようですね 私もいまだに夢にみますよ
人になれ 共にいる事になれ そういう経験は 役に立ちましたね
そこを基準にすると 自信がつくのです 案外人は一緒なんだといった
ところなど 


《 2020.08.06 Thu  _  思い出 》