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母の自伝

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母の自伝

つづき
高等小学校をおへて 父もいないことだから 何かをして身を立てたいと
神戸の叔母をたよって神戸に出た
田舎から出てみると 誰もかれもかしこそうに見え 何かと劣等感で次々に後に残される思いがした
やはりなんとしても勉強しなくては駄目だと思い ふるさとに帰り独学で一生懸命勉強した 師範学校が目標だった
学校時代 本気になって勉強しておけばよかったのにと 後悔した
兄たちも励ましてくれた 姉も何かといろいろ教えてくれた
姉や兄たちにくらべられ 残念だったが 負けん気だけは人並み以上だったのに おなじ兄弟だ負けてたまるかと頑張った
島根師範と とても駄目かも知れぬが 兄が神戸にいたので明石師範を受けてみる事にした 毎日毎日が独学で苦しかった
幸いにも両方ともパスした時は天にものぼる気持ちで喜び上がった
学校の世話にならぬ独学だったので そのよろこびは深かった
母も兄や姉たちも大変喜んでくれた
私はうれしくて足も地につかぬ有様だった
さっそく母は木綿の表地にたっぷり暖かい綿を入れたふとんをつくってくれた 学校できるネマキも着物もいろいろつくってくれた
私はよろこび勇んで故郷を後にした
一時叔母の家におちつき入学式を待った
入学式の夜はこうふんして 仲なかねむれなかった
当日は叔母と出かけた 着物にコンのハカマ 当時流行った編み上げの黒の靴 はきつけぬ靴をパカパカ音を立てながら希望に胸をふくらませて登校した
大勢の人が 一かたまりづつよって 楽しそうに話し合っていた
私は遠い他府県であり 只独りだったので 話す人もなく叔母と二人で
不安そうにうろうろしていた
都会出の人たちは いかにも ものなれたようすで 何となし あかぬけし田舎の人たちも二、三人くらいたむろして話し合っていた
はや ここで何となく気おくれし みんなの顔 かしこそうに見えて不安だった 講堂には みたこともない立派なピアノがあり 明石のうみの校歌の書いてある額がかかっていた
先生方は皆立派な方たちで 田舎の先生とちがい 近よりがたく見えた
古いゆいしょある学校なので講堂も大分古いかんじがした


母は 独学で明石師範に受かったのですね
受かったときのうれしそうなこと 母の負けん気の強さと 兄弟たちへの劣等感が 母をがんばらせているのですね
どちらも 悪く考えれば こまったものになりますが 母はこれがよくはたらいたのですね
いろいろ 自分なんかも しつこさは 粘り強さになるときもあり
扱いづらいときもあります 母に学びましょうか
喜び勇んで入学式 田舎から出て来た母は まわりの生徒たちのいかにもものなれたようなところに 劣等感を覚えます
この劣等感という言葉は 母の場合 兄弟間でも出て来ますね
しかし 負けん気が後押ししてくれたりして この二つの事はいいコンビじゃないでしょうかね
上の写真は この夏はじめて咲いたあさがおです


 
《 2020.08.05 Wed  _  思い出 》