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母の自伝

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母の自伝

生来はげんき者で 負けず嫌い 案外力も強かったのか 次第に
表面に出かけて来出したのは いつの頃からか 定かでない
何年ごろか全国的に流感がはやって 部落の人も大分死亡されたらしい
からだの弱かった私は早速にその風邪をもらい 兄弟たちは次々回復したのに 私ひとりなかなかよくならず 髪の毛はぬけてぼんさんのようになって やせおとろえ 食物はのどに通らず 学校も長いこと休んだ
そのような時 母のつくってくれた鯛の吸物が口にあったのか 大変においしく これで食物を口にするようになった
海辺の事だから魚はとれとれがたくさんあり いろいろと調理して食べさせてくれた そのおいしかった事 これでげんきがつきかけ 病気の方は目に見えてよくなり食物もよく食べるようになり 小食であったのが
毎日腹いっぱい食べるようになった
病ぬけとはこういうことか いままで弱かった私がめきめき丈夫になった
その後 長い間風邪を引いた事なく 家族中みんな風邪を引いても 私ひとりだけのこった
しまいには 風邪をちっとも引かぬから 野蛮人などと言われた
他の病気もせず病気知らずになった
何の得意なものはなかったが 丈夫なのが得意であった


母が小学生のころ この病気にかかったようですね 
ここには スペイン風邪とはひとつもかいてありませんが 1955年あたりですかね でも どこかで「おかあちゃんは スペイン風邪やったんや」と思い込んでいる節が私にはあります
それまでは 母はからだが弱かったんですね
病抜け まさにこういうことなんですよね
私の母が 子供たちが風邪を引いても 一人引かなかったというのは
ここでわかりますね
母は病に強いと同時に 第二次世界大戦で 神戸の大空襲を受けた時にも
生き延びたということでも 運の強い人というふうに 私は思いましたよそんな母も 自分の体に自信をもっていたのでしょうか 年取ってから 風邪を引いても 医者にかかりませんでした しかしそこから肺炎になってから 身体がに不調をきたすようになります
しかし 母のこの身体に対する自信は くよくよしないとか その後の
人生に生きていたと思います
負けん気の強さだとか 左ききでのくやしさだとか やっと病から抜け出せたよろこびだとか 貧乏時代に作られた自立心だとか いろんなことが
母をささえたんだと 思いますね

何の得意なものはなかったが 丈夫なのが得意であった
なによりです おかあちゃん ここおもしろいよ 
 


《 2020.08.04 Tue  _  思い出 》