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母の自伝

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母の自伝

私は母の苦労の多い時に生まれたので 幼い頃はからだが弱かった
母は体格がよかったので 母乳はありあまるほどで 近所のだれかれか
母の乳をもらったらしい
知人が私の幼い頃 色がぬけるように白い子だった話してくれた
三月二十八日生まれの早生れで 学校に行くときも 何かとおくれていて
私は一年生の頃のことさっぱり記憶にない
ただ 左ききで左手で地を書くのでいつも左向きの字で いつも先生に×を入れられていた 私はとなりの子より上手に書けているのに どうして×ばかりかと ふしぎだった
母も生涯左ききで終わった人であった
誰に注意されたのか 右手で書くようになったか 字ははいぜんとして左向きで変らず×ばかり入れられた
いつから右手でかくようになったか記憶にないが 大変書きにくかったように思う 小学校の先生は さだ先生 
私は姉や兄たちが優秀であったのに 何かとおくれがちであった
からだが弱かったせいか 姉たちのように 何でもさっさとできなかった
こんな状態がいつまでつづいたのか記憶にないが 劣等感があったのは
たしかである


私は 母のからだが弱いと思った事はありませんでした
父は母の事 野蛮人とよんでいるぐらいでしたから 
私は 母と同じようだったのか 幼い頃は弱く 母の事は丈夫な たよりがいにある人としか とららえていませんでした
母は いつのまにか 強い人にならざるを得なかったのかもしれませんね
母の(祖母)苦労の多い時に生まれたとありますが どんな苦労だったのでしょう 母は4番目ですが そんな話もゆっくりしませんでしたね
祖母も母も左きき うちの息子のときは 左ききであっても むりに
右にかえなくてもいい ということで 自然にさからわぬようにと
そのままにしましたが やはり 母が困ったようなことが息子にも起きるのです
息子の先生は そのことを 教えてくださったのだと思います 左で 右ききの方向に書くようになっていましたから それでも まわりと状況が違うので イライラして泣いたりしていましたね となりの子と 腕がぶつかったりするようでね
今は鉛筆やペンで字をかくばかりではありませんよね パソコンでも そういった類のものでも 活字が出て来る仕組みになっていて そんなに母のときのような 苦労はないですね
しかし 母は 生涯 書く人でしたよ まえにもお話ししましたよね
どこにいてもメモをとり 小さな細いメモ帖ようのえんぴつを 私は
覚えていますね
母にとって 書くという事は後の人生で 身近なものだったようです 小学校の先生 こうして日記を書く事 メモに夢中になって デパートで財布をすられた思い出 いろいろ

母の表情は こうして自伝をおって行きますと なるほどと思います
強い人なのに 下をむいてはにかんでいる一瞬 あいそ笑いをしないところ 
子供である自分にも そういうところがあるのに 気づかされた事もあります
それは母には 劣等感やら 負けず嫌いやら そんなところがないまぜにしてあったんでしょうね 
私はどうなの? 弱虫の所や 内向的な所が そうさせているのかな 
いろんな要素があって 私たちはできているのですね




《 2020.08.03 Mon  _  思い出 》