母の自伝
あれ ここらあたりは 打ったんじゃなかったっけ
思い出せないのが 自分も年寄りだって言う事でしょうか
ま いいか
私の幼い頃はまだ電燈などなく 石油ランプで毎日古布をぼうにさして
ランプ掃除をさせられた 臭くていやだった
みんなでするのを 逃れるためにいろいろ逃げ出していた
いつだったか村の山すそに小屋のようなものがたち 今度マッチで火をつけないでも あかりがつく電燈というものができると みんなふしぎなものだとうわさしていた
あの小屋は電気小屋で 今晩から明かりがつくそうだといって 天井からつりさげられた ハダカ電球の下に みんな集まって待った
薄暗い2本ほどの線に明かりがついた時 みんなふしぎだといって
子供はあちこちとびまわり おおさわぎをした
ラジオをきけるようになった時もふしぎでラジオをさわってみたり
中をのぞきこんだりして さわいだ
今こそ当然のような顔をしてるが テレビはまたおどろきだった
パッパと色々うつる画面に ふしぎさをとおりこして おそろしかった
画面もぼけていたが みんなとりつかれたように テレビの前にくぎづけだった
家でも勉強のじゃまになるからと 長い間テレビをつけなんだが 学校でみんなの共同のわだいについて行けない という子供たちの意見を入れて
家でもおそがけにやっとかって 時間をきめて みんなで楽しんだ
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電燈 ラジオ テレビ 母の時代は このような動きがあったのですね
母の子供時代でのランプから電燈への移行 ランプ掃除は子供の仕事だったんですね ラジオでは 音のするのはどこからだろうとふしぎがったのですね
そのころ テレビの「お父さんはおっちょこちょい」だったかなあ
喜劇俳優のあちゃこと浪花千恵子 あっちゃうわ「お父さんはおひとよし」棚の上の方に 大切そうにおかれたラジオのところで 笑いながら聞いたものです 「君の名は」子どものわたしには余り興味がなかったのですが 友だちの家では 姑さんもおよめさんも(友だちのおばあさんとお母さん)続きを楽しみに聞いていたんじゃなかったかな
テレビは 父と私がくぎづけ 台所で食事をしながらテレビを見る ねるところで 足のついたテレビを父と運んで そういうときだけ 父と子は協力体制でした
考えてみれば 母は 驚きとともにふしぎがる 子供の時から そういうところがあったんでしょうね なかなか子供らしい子ですね
時はうつり わたしのこどもたちが やはり上から下までテレビをよくみていました そのテレビを一年ほど やめにしたことがあります
テレビをめぐってけんかをしたり いつまでも見ていたりで わたしたち親はテレビを運び去ったのです すると ここにかいてあるように 「みんなの共通の話題についていけないから テレビを見たい」と子供らは涙ながらに訴えたのでした
私たちも子供時代 同じことを親に云っていたのですね
プロレスに夢中になった おばあちゃんもいたりして
冷蔵庫がはいってきて 氷を食べ過ぎて お腹を壊した思いでもありますね
我々の生活は 母の時代から 次々に変って行き そういうものに気をとられながら 生活してきた事がわかります
祖母の時代 と 母の時代 ここをみただけでも だいぶ自然とか機械とのかかわりだとか ちがうわけなんですが その間にも戦争があったりします
写真は ねこのムラカミがいたころ あいかわらず物で溢れていますね