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母の自伝

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6時ごろ 明るいひざしがありました
で 今は10時 暗いです
さて 祖母の話といきますか

母のこと

そして 長姉の家に行くのが何よりの楽しみだったらしい
きんじょの人たちは小松のおばあさんは 毎日毎日お春さんとこへ行くがすぐ帰って来る よう毎日話もあるものだと話していたそうな
母は 姉の顔をみて安心し お茶を飲み さっさと帰って来るのが
としとってからの日課だった
その点 母亡き後の淋しさは 姉が一番深かったと思う
母がやんでから 私は子供たちが幼くなかなか出かけられず 教職もあり
思うにまかせず 次兄の娘の静枝が母に尽ききりで 村のうわさに上るほど いたれりの看病してくれて 今でもその時の感謝の気持ちは 忘れられない
母はみんなにみとられ 波の引くように静かな生涯をとぢた
私は生涯でこんな悲しみはない程 なげき悲しんだ
なにもしてあげられなかった後悔にせめられ 仏になった母の手をとりながら 一晩中母のそばを離れられなかった
母の髪を少し切り爪を切って小さい袋にいれ形見とした
母はみんなにおしがられ みんなにいたわられて世を去った
私の胸の中には鮮やかにいつも母の面影がひめられている
母はきっと早く亡くなった父 可愛かった妹と共に楽しく暮らしている事と思う 永遠に私たちの胸の中に生き続けて守ってほしいと願う昨今である
母は三月のまだはださむい日に亡くなったが 時にはゆきのちらつく日もあった 葬式の日は思いかけず好天で 近所の人たちはよいおばあさんだったから天気までよくなったと話していた
親類よりあって 大勢で 母の生前の事を話し合ってなつがしがった
姉は働き過ぎてからだが弱く 母はいつも姉が自分より早く死ぬのを恐れた その姉は母が守っているのか 年とともに強くなり九十歳に近いのにパリパリ生きているのである
母はからだも大きく 足も人並みはずれて大きく 冬でも足袋をはかずに
平気だった


おばあさんは 子供たちや孫たちに大事にされて 嫁さんにも恵まれて
そこで咲いた おばあさんの豊かだった事 みごとですね
自分のおかれた境遇に満足し 人から学び行動し 子供たちにできるだけのことをしてやり せいいっぱい仕事をし 死んで行った人
先祖にこういう人がいた事が うれしいですね
《 2020.07.31 Fri  _  思い出 》