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母の自伝

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母の(祖母)こと

わたしが学校へ行きたいと思った頃 嫁入りの用意をしてもらうのがよいか 学校に行くのがよいかと尋ねた
私はもちろん後者をえらんだ その約束通り卒業して結婚するときは
すべて親に頼る事なく自分でした
母は故郷を後にした子供たちに海辺のものを いろいろ食べ切れぬ程
送ってくれたり 持ちきれぬ程のいろいろなめずらしい食料をかついでもってきてくれた
出かける前は いろいろともって行く物を集めて つみかさねて出かけたそうな 届けるとさっさと帰りごしらえである
それも汽車はまだまだ時間がたっぷりあるのに出発前 二時間ほど前から駅で待っているのである
折角来たのだからもっとゆっくりしたらといっても 家が忙しいからといって 大急ぎで帰って行く
里の方でも親孝行な長兄あり 気のあった嫁ありで 帰り急ぎをする母が
私の所で少しでも長くいると 兄が帰るようにさいそくするのである
私が出産するときは 母が必ず来て 私が立ち上がるまで頑張る
それも口やかましい姑があったので 早く起き上がってからだにさわってはならぬと心配し 居こごちのわるいのに 仲なか帰かえらぬのである
一番下の娘(わたし)が出来た時はすでに姑はなく ゆっくりしてもらおうとよろこんでいたら 早々と弟が来て母をつれ帰ってしまった
親子仲好くかえるすがたをみて 私は淋しいやらにくたらしいやら 複雑な気持ちで見送った
母は誰にでも好かれ どこにいても幸せそうだった
 

誰にでも好かれたおばあちゃん
そのときどきに 母にいろいろな思い出をのこしていますね
娘の所に来ても 荷物を抱え切れないくらい担いできても それを届けると すぐに帰り支度 
母と同じじゃないですか
汽車の時間がまだあるのに 二時間も前から駅に行ってまっている
これも 母と似ています
親子は知らず知らずのうちに 似て来るのですね
私のこととなると それはだいぶ薄まってはいますが 似ている所もありますね
どんなところが 子供たちの記憶にのこっているのでしょうね

私は母が41のときの子供ですから おばあちゃんも だいぶ年取っていたでしょうね ほとんど記憶にない おばあちゃんですが 母の自伝の中で 見つけました

誰からも好かれ どこにいても幸せそうだった おばあちゃん
まねできないことは いろいろあるものですが このことも
そうじゃないですかね お客さん
 

《 2020.07.30 Thu  _  思い出 》