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母の自伝

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山や 雲 空
どこにでもある景色ですが 何か妙に懐かしく 母のようでもあり
むかしから 知っていたように感じます
お客さんはどうですか

母の(祖母)のこと

母は父と同じ村の貧しい漁師の家に生まれた
男三人と女二人の兄弟であったように思う
早くより働き その頃のことで 学校へも行かず 早くより人の家で働いたらしい
母が体格がよく大変大きかったらしく いつも大きいのを恥じていて
私にも余り大きくなってはいかぬと常にいっていた
母の働きぶりのよさに 見込まれて 小松家にとついだ
母は 祖父母小姑二人など大家族の中で いろいろつらいこともあったと
思うが 終日働いたのと思う
母の若い頃つらかったことは一度も聞いた事なし
母は辛抱強く自らの苦しみなど人に云う事はなかった
母は大変大らかな人で 誰にも好かれた そして誰にでも親切なので
大勢人が集まった
近所に働き者があって 母と近所の友だち二人の三人組で いずれ劣らぬ
いつも一緒に 山へしばかりにいったり 海の海藻とりなどに出かけた
柳行李のようなべんとう箱に うめぼしべんとうで いつも三人そろって
出かけた
母のゆったりして休んでいる所などみた事なかった


祖母は 私にとって唯一の おばあちゃんでした(三人はすでに亡くなっていたのです)
写真で見ると3歳くらいかな その祖母といっしょで
母に抱っこされた写真があります
かすかに 祖母に手をひかれたような記憶もあります
この話を読んでいますと 母はこういう所で育ったわりには 眼鏡で
すましていたように思います 電話の声と 家の声がちがうところなど
私といっしょじゃないのと 
母は学校の先生になり 嫁入り先は 父が学校の先生 祖父母が庄屋さんや武家の出というふうな 人生がまっていたのです
気楽という言葉がありますが 母はどこか緊張していたのかもしれませんね
ひきつづき母の中であったのは がんばるという気持ち 戦後の父の郷里でのくらしのなかで 母は婦人会に参加して 知り合いを増やしていきました
そうでもしないと お米だってなんだって なかなかわけてもらえなかったそうです

この海辺の 大らかな働き者の祖母と母は イメージがだいぶ違いますが
母は このようにして 変っていったんでしょうね
母はぐちだって わるぐちだって 言いましたよ
体面をとりつくろうところと 兄弟やお母さんの事となると 負けてられるかいといったところが 同居していました
いまふりかえってみると なるほどなあと思います

きっと自分もいろんなことを経験して それが私となって現れていることでしょう
祖母という人をこうして 母の自伝で知る事が出来ました
 

《 2020.07.28 Tue  _  思い出 》