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母の自伝

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妹の事

あれだけ可愛がっていた父も死亡し 妹は上級学校へも行かず
私たちのいる神戸の方へ来て なにかとお世話になった幼稚園の園長さんの家にお世話になることになった
大変に可愛がって頂き 幸せだったが病んで家にかえり 田舎のことであ
り みながまだ生活の安定していない時期だったのでわずか17歳の若さで亡くなった
母の悲しみは深く なぐさめようもなかった
今だに弟と もっと豊かであったらよい医者にかかり何とかして 助けてやれたのにと話し あきらめきれぬ妹の死であった
愛してやまなかった父母のもとで 幸せにくらしているいますように いのらずにはいられない

姉の長男と妹は同い年である 
小学校に行く頃になると おしゃまな妹は姉の息子に「おばさんといえ」という 先方もまけずに「同い年のおばさんがあるものか」と争ってけんかをしていた頃を思い出す これもなつかしい思い出となった
まだ美しかった幼い日 成長した妹の顔かたちがあざやかにうかぶのである


母の妹は どんな顔かたちをしていたんですかね
母の若かりし頃の写真は のこっています
「おばさんといえ」といった相手は 確か しーちゃんのお父さんです
私は しーちゃんの家で 会っています
こういう自伝をしっかり読んでいたら 母の妹の話をおじさんに聞く事が出来たのにと こんどしーちゃんに 聞いてみようと思います
しーちゃんには 母が云ったような事は聞いているのですが まだ他に出て来るかもしれませんね
母も亡くなり しーちゃんのお父さんも亡くなり 母の姉も亡くなっています
むこうのほうが みんなにぎやかなことでしょう

母方の祖母が ひだりききだったこと 母も子どもの頃そうだったんですが 母は学校に行っているのでそれをなおされています
祖母は そういう機会がなかったのでしょう 読み書きが出来なかったそうです あの時代の人たちには まわりでも 学校に行って 読み書きを習う事が出来なかった人々がいますね
私たちは 学校でいろんなことを勉強しましたが それは母の時代(明治43年うまれ)からなのかもしれません
それでも 上の学校に行くという人たちはまだ少なく 大変な思いをして上の学校に行ったのですね
昭和20年代 それも戦後の時代が私の時代ですが(昭和24年うまれ)
小学校 中学校は義務教育で 行くのがあたりまえでした 高校も多くが行きましたが 行かずに就職した人もいました 大学も出ると 給料が よかった
で 今はどうなんでしょう

母の妹は お父さんが亡くなって 兄弟もまだ じゅんくりに学資のめんどうをみれる時じゃなかったんですかね
そんな妹を襲った病気 なんの病気だったの? 聞きそびれてしまいましたね


《 2020.07.27 Mon  _  思い出 》