弟の事
一年生のときの先生は はさだ先生という女の先生で 前髪に大きなタボを入れた髪をゆい 着物にハカマで なかなかしっかりした先生だった
その頃私は先生でも便所に行かれるのがふしぎだった
次兄が(兄も松江中学)にかよっていたので 弟さんは兄さんほどじゃないといつも兄とくらべられていた
中学を出て神戸に出て 学資のいらない学校 郵便局関係のだと思うが
そこへ試験を受けさせた
意外にも神戸商業工業(現在神戸大学工学部)の建築科にパスの通知がきた 弟は知らぬ間にそちらに試験を受けていたのだった
私はすでに教職についていたが その当時月給は四十円だった
その頃母に来てもらって三人でくらしていた
とても楽しかったのを覚えている
この月給でどうして弟を学校を出してよいやら見当がつかなかった
弟は心配するな ちゃんとアルバイトを二つ位 さがしてくるからと
出かけた
夕方帰った時には アルバイト先を二つちゃんと見つけてきたその実行力の強さに驚たんした
それから私たちのきびしい生活がはじまった
弟がアルバイト先からかえるのは 十二時より早い時はなかった
それから自分の勉強をした
学校は自分の好きな専門の勉強なので 毎日一生懸命へこたれる事なく楽しくやっていた 私はその信念と実力に感心した
日曜日には母と三人で 再び山や美しい川の流れるテントクロス谷川にいき コーヒーなどを枯れ木を集めてのんだりして英気を養った
時には行き先の事で意見が合わずけんかをして別々の行動をとったこともあったが とにかく あの頃はきびしく楽しい生活だった
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母は この頃が本当に楽しかったらしく その思い出をしゃべりました
嫁さんに家のことはまかせて お母さん(祖母)は二人の所へ来て 食事の支度をしたりしていたのでしょう
弟のてるのおじさんは お母さんの晩年 いろんなところに旅行に連れて行っています
仲の良い母子だったと 母はいいました
このおじさんは その後も 何か大変なことが起こっても へこたれない人で へこたれた兄弟も助けました
それは全体から見ると 弊害もあったようです
しかし 二人の兄弟とお母さんは その楽しかった思い出を しっかりにぎりしめていて 私は そういう三人の事を 「光るひとかけら」として今では見ています
私もいろんなことがありましたが この「光るひとかけら」は ふところや心にもっていたいと思ったことです
弊害は多かれ少なかれ だれにでもあることですが そして弊害を受けた人にとっては かなわんことでしょうが 「光るひとかけら」は
特別です