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母の自伝

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弟との事

弟は幼い時 余り丈夫でなかった
いろいろなおもちゃをいじっては 一日中遊んでいた
私は年も近いせいもあり よくけんかした
兄弟が多かったのでねるのも一緒だった
弟は智慧つきが早く 幼い頃何でもよく知っていた
近所のおじさん この方も少しへんくつでへそまがりの人だったが
弟のことを何でもよく知っているからと「おじいさん」と あだなをつけていた
学校に行き出してからも さっぱり勉強をしないのに 成績がよかった
学校に行き出してもお互いにあだなをつけあってよくけんかした
私は神こうじの鶴で(神社の鶴 鶴子という名前) 弟はてるてるぼうずであった(てるお)
弟はごんたのくせによく人に泣かされた 私は勝ち気でげんきもので
けんかにも強かった
弟はよく泣いて私の所へ云ってきた 
私は弟のけんか相手を男でも何でもやっつけて再び弟に手を出さぬようにしてやった
弟は小さいときから絵を書くのがうまかった
私は宿題の絵は大抵弟に書いてもらった
私は力が強くてけんかには強くまけんきが強かったが 何が得意なのか今だにさっぱり覚えだせない
早生まれ それも三月二十八日生まれで 幼いときはからだもよわく
一年に入学したものの 何かとおくれがちで 一年生のときの記憶はさっぱりない つづく


弟の照るおじさんのこと
私は よく会いました 母は こうして読んで行くと 年も近く
なかがよかったんですね
背の高い かっこいいおじさんでした
母とはしゃべりやすかったんでしょうが 私はしゃべりにくかったです
頭はつかうためにある みたいなことを言っていましたが 自伝では
「おじいさん」でわかります
母は 確かに絵などは得意ではないのは よくわかりました
私が絵を見せても わたしはこういうことはわからんでなあ と
でも縫い物や あみものはやっていましたし 私やお父さんやみんなの服は 手作りでしたよ
父は 中学校の先生でした それも校長先生でしたが 母の手作りの背広を着ていきました ものがまだまだなくて 高く 父は何も文句を言わず母の縫った背広を着ていって 自慢までしていたそうです
母はこういうこともはじめから自信があった訳ではなさそうです
きっちり 本の通り製図してそのとおりに縫ったのか そんなノートがのこされています
そうですね なんでも書く人でしたからね 前にも書きましたよね
ここはとても素敵な所ですね
てるのおじさんは 父のことをとてもだいじにしてくれました
父のことをほめるので 私はその頃 父のことを尊敬していませんでしたから 不思議でした
母がこのてるのおじさんに言って 父にあってきてもらい 「歯のきれいな人だった」ぐらいなことで話は進み 父と母は結婚したそうです
この弟のてるおじさんは いろんなことに頭を使って対処してきたのでしょう 母にとっては 親孝行な 兄弟思いの弟だったのです

《 2020.07.19 Sun  _  思い出 》