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母の自伝

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長兄の事のつづきです

兄はしょうぎが大変上手でだれにも負けなかったときく
又剣道が巧みで 当時神社に修業に来ていた神主の卵の人たちに
教えるために神社に出かけた
そんな兄を私は大変ほこりに思っていた
兄は私たち兄弟を( )貧しい中より学校に入れてくれた
父が亡くなったのは次兄が中学にはいった年だったと記憶している
次兄と私と弟はそんなやさしい兄に貧しい中より夫夫目的の学校に入れてもらった
時にはもっと上の学校へ行きたいものはこの家をテイトウに入れてでも
出してやるから行けといってくれた
そのきもちだけでも有がたく 兄に恩返しをしなくてはといつも思った
夏休みにかえると魚つりのすきだった私のためにえさを用意し つり竿を準備してくれた そんな兄が大好きだった
私が神戸の方へ出る年に長女が生まれる 子ぼんのうの兄は大変かわいがった 私は生まれたばかりの赤ん坊をあとに上神した(神戸)あれから12年目に長男が生まれた
兄のよろこびはどんなであったこととさっする
長女が生まれてから私は兄と離れて明石で五年 それから神戸にくらした長女を伊丹の先に嫁入りさせ 長男に嫁をとり孫が出来て 兄は大変に孫を可愛がっていた
なんの不足もない兄だったが 酒が好きで遂に亡くなった
私は急ぎかえり泣き兄にすがった 悲しんだ その夜は兄のそばで一夜を過ごし兄との思い出をなつかしんだ
自分のそばからしたしい人が亡くなって行くのはたいへんさびしいことだった
胸の中をつめたいかぜがふきぬけて行くようだった 里帰しても
あの優しかった兄が今はなく淋しいきわみである
その後兄の長女も急逝した 
きっと優しい父のもとで一緒にたのしくくらしているだろうとそんなことを思っていて あきらめている


母は 母からみた兄さんの優しさを たっぷり書き残している
そのことが 読んでいる私にも伝わって来る
自分も 兄たちとの思い出を こころに残った事だけこのように
書ければいいなと思った事だった
人はいろんな面を見せる あたりまえだけど たとえば 母の兄さんは
酒飲みで のむということは 人の云う事も聞かずのむということになる
自分は父が酒を呑んでは 正体なく酔っぱらって うちに帰るのが遅くなると 母は心配した事だろうと思う 私もそんな父のことがいやだった
しかし 母が兄さんのことをとてもよくいっているように 優しい所とかあったわけで 私も父からの いろんないい思い出は 今もしっかり残っている そこをたっぷり書こうと
書いているよね お父ちゃん 私は父の一番弟子だからね
このように母の自伝ではあるけれども 自分の事でもあるのだと
いい経験をさせてもらってる

上の写真はどっかの雑誌に載っていたものだと思います
母たちの時代を反映しているような写真です
《 2020.07.15 Wed  _  思い出 》