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母の自伝

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母の自伝が はじまって 私は今度母のいた部屋に(同居していたんです)ミニ引っ越しする事になります ここで母の一生は 終わったのです
この自伝は 私たちの一生には いろいろなことがあり なるべくなら
よかったことを思い出そうとする 私たちがいるのだと 母の文を読みながら 私も自分を見つめ直している事に気がつくのでした


姉の子供たちは皆孝行ものばかりで 姉は幸せであった。
だれも 姉に心配をかけず 上から郵便局につとめ 次男は局長にまでなった。そんな幸せな姉も養子であった主人と死に別れ その頃のことは
私はすでに故郷をあとにしていたから判らぬが 姉のことだからすばやくたちなおり生活をたてなおしたと思うが 自分が主人をなくして やっと
その頃の姉の気持ちがわかってきた。
第二の不幸は 大切な頼りにしていた次男の死である。局長を退職 妻の家の近くに家を建てかけてそれが出来ぬうちに死亡した。 私も同じ子供をもつみ 姉の悲しみが心の底よりよくわかる。
その後里へ弟と帰る道で 忠雄のうちへよってみた。こじんまりした所の
老後の二人づまいに 丁度ふさわしい大きさの家がたち 未亡人となった妻が独りで淋しく住んでいた。退職後にしようと思ったのか 樹の根っこや いろいろのものをたくさん集めていた。みるものみな悲しいものばかりであった。姉がみたらどんなに悲しがることだろうと思うと 年老いた姉がいとしい。不幸中の幸であるが 忠雄の忘れかたみのひとり息子の
立派に成長し 姉のめいせきな頭のうを受けついだのか 有名な国立大学の大学院まで出て 工学方面で成功し うわさによれば工学博士の雅号も
とった由。私は姉に 忠雄が立派な形見をおいてくれた 欲を云えばきりがないが ありがたいと思い 孫に息子の事を期待して 老後をしっかり生きてくれるようはげました。案外姉はしっかりしていて少しもメソメソした所なくしっかり生きていた。


私たち夫婦も70代 どんなことが起こるかもしれません
若いときは とにかく忙しくしていました
子供が病気をすると そのことであたふたし 私たち夫婦のことより
そういった事が心配でした
ところが ようやく自分たちの事に目がいくと 夫の健康のこととか
死のこととか 心配になってきます
まわりの知り合いの様子を聞いても また気になります
こどものとき 青春時代 結婚してからと 嬉しい事とともに 心配な事も それぞれにちがっていて つぎつぎにやってきます
生きているというのは そういうものだと わかってくるのです
われわれはだれしも そのうちに 死ぬとは判っていても あまり現実のこととしては 感じてないらしく やりかけの 樹の根っこや(父もそうでした)おいているものです
ゆっくりしてからやろう そう思ってね
お客さんはどうですか
 

《 2020.07.10 Fri  _  思い出 》