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母の自伝

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母の自伝は 母の姉の事でも だいぶ長いです
でも 文字で書かれたことの 何倍もの思い出が あるんですよね
それは 私や みなさんにしても同じことでしょう
つづけますね


弟が岡山で建築の仕事をしている時 母や姉、私と当時幼かった3男をつれて 岡山で合流して大変楽しかった。私は宍粟の山奥から 母たちは島根の田舎からいろいろ海の品々を持ちきれぬほどかついで来たものだった。
戦後だったのか岡山の駅あたりは ぼうぼうと雑草がおいしげっていた。3男勲は先方につくと ついでに 「お母ちゃんいつ帰るの?」といって弟は「あんな田舎に帰りたいか」といって笑った。
あの頃は母も健在で大変楽しかった。
姉には三男一女の子供があり私と同じだ。
郵便局一家で三人とも郵便局につとめ娘の夫も郵便局につとめている。
娘は学校のつとめである。
姉は何でも 人並みすぐれていたが 一つのくせがあった。
私も姉と同じであるが とにかく夜早くねむたくなるくせがあり
今のように明るくない電燈の下でミシンかけをしていたが いつのまにか
ウトウトして ミシンで額をうちながらいねむりをしている時には
機械にあったって 血がにじんでいることもあった。それでもなかなか目がさめず 遂にはミシンにかぶさるようにして 気持ちよくねていた。
いねむりの快感は何ともいえず心よいもので 人におこされても
なかなか立ち上がれぬくらい 深いねむりで心地よいものだ。
私もけいけんがあるから 姉の気持ちはよくわかる。


きょうはこれまでです
たしかに 夜早くねむたくなるくせは 母にはありましたね
実家に私や父といるときにも 土間に落ちそうになっていねむりしていたことを覚えています
夕ご飯のときです 母はよく野良仕事から ほかのことから 昼間かなり働いていましたから そんなに宵の口からねむたいのだろうと 思っていました
幼い三男の勲兄が出て来ていますね
このような 家族の話ですから お客さんたちには あまり興味がないかもしれませんね
でも これは自分のためと 家族のために 書き残しておきたいのです

《 2020.07.09 Thu  _  思い出 》