北アルプスの山並みが 白い 雪だ
この村におりて来るまでは まだありそうだけど
朝は寒いです
2014年の文章といきますか
最近、他人の絵や文をじっと見ている事ができるようになった。
いったい なぜそんなふうなの? それじゃあ今まではどうだったの?
それはね どんな画集を見ても その名作たちや素朴な作品をみても
なんだか 気持ちがいそがしくて それらの絵のうえを よく見もしないで
はしりまわる気持ちでした。
自分は 絵を描きたい人 それがまずあって それに加えて文も書きたい人であったから。
それで?
人の絵に関して言えば 自分の絵を良くするための 栄養のような位置にあった。
その絵を見ると元気が出るのだとか この絵の感じなら 自分も描けるとか。
今 自分はそこにはいない
一人の他人の作品を おちついて じっとみる
この立ち位置を変えると なんとしたことか 他人の作品のレベルの高さ、味わい深さに
感心してしまう。
すごいなあとよく思う。
うちにある多くの画集を一冊ずつ ゆっくり見入る。
その作品を生み出した画家のことを読んでみる。それを知る事の 楽しみは限りない
自分はそれまで 自分の可能性をかなり高く見積もって 可能性も感じつづけて
絵を描いたりしてたんだなあ。
それがあったから じつは 描きつづけてられたのかも。
気づくのがおそくてよかった。
*
2019年 私はふりかえりながら たとえばこのように かっての絵の記録写真
と 今の手製の額(のつもり)とのコラボレーションをしてみたり かっての日記に
話しかけて書いてみたり
それは 以前のこだわりの時期から すこしはなれて楽しいのです。
今回の咳の風邪は長い。とても苦しかったから
私の人生いつまでもないのかもしれない などと思ったりする事もあります。
しかし まだまだ あるのですがな また花が咲きはじめて