こころ 先生と遺書 夏目漱石 つづき
お嬢さんに Kに聞いたのと同じ事を「私」は聞いてしまうのですね
同じ問をかけたくなるのですね するとお嬢さんは私のきらいな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったかあててみろとしまいに言うのです
そのころの私はまだ癇癪持ちでしたから、そうふまじめに若い女から取り扱われると
腹が立ちました。ところがそこに気のつくのは、同じ食卓についているもののうちで奥さん一人だったのです。
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女 女性 ふむ 例の笑い方って・・と想像してしまいます
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向こうが内心ほかの人に愛の眼を注いでいるならば、私はそんな女といっしょになるのはいやなのです。(そりゃあそうですけど)
世の中では否応なしに自分の好いた女を嫁にもらってうれしがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれした男か、さもなければ愛の心理がよくのみ込めない
鈍物のすることと、当時の私は考えていたのです。一度もらってしまえばどうかこうかおちつくものだぐらいの哲理では、承知することができないくらい私は熱していました。
つまり私はきわめて高尚な愛の理論家だったのです。
肝心のお嬢さんに、直接この私というものを打ち明ける機会も、長くいっしょにいるうちに時々出て来たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、そういうことは許されていないのだという自覚が、そのころの私には強くありました。
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いやあ この人 いいようにもてあそばれてるわ
女って こんなだったのか それとも 男が高尚な愛の理論家を続けていると 女は
少しずつ変化していって こう いじわるになるのか
Kはどうなんでしょう
奥さんは