こころ 先生と遺書 夏目漱石 つづき
Kは日蓮の事を「私」に話そうとするのですが そして私に向かって向上心のないものはばかだと言うのです
あくる晩 Kはそのことについてさらにくいさがって 議論をしようとするのです
ー「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠していると言うのです。なるほどあとから考えれば、Kの言うとうりでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使いだした私には、出立点がすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおのこと自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。ー君は人間らしいのだ。あるいは人間らしすぎるかもしれないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないようなことを言うのだ。また人間らしくないようにふるまおうとするのだ。
これは 「私」の言い分です
Kのした昔の人とは 霊のために肉をしいたげたり、道のためにからだをむちうったりしたいわゆる難行苦行の人をさすのです。
Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるかわからないのが、いかにも残念だと明言しました。
これがKの言い分です
ここで私は彼の様子を見て 議論を深める事をしなかったのです