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こころ 夏目漱石

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こころ 両親と私 夏目漱石 つづき

兄は「私」にこの家に帰らないかという
「私」順としては 兄さんでしょうとこたえる
兄は これからががんばりどきだと 自分の仕事のことを思っている
おまえの文学なんてのは この田舎にいてもできるだろうと
父は 乃木大将にすまないと あとからいきますなどとうわごとを言ったり
母を目で追っている 「お光お前にもいろいろ世話になったね」というときも
それを兄と「私」はまるで違った気分で聞いている
「今のうち何か聴いておく必要はないかな」と兄が「私」に言った
「言いたい事があるのに、言わないで死ぬのも残念だろうし、といって、こっちから催促をするのも悪いかも知しれず」話はとうとうぐずぐずになってしまった
そのうち昏睡が来た
母は、それをただの眠りと思い違えて、かえって喜んだ


自分は この小説が なんと こういう所の描写が長いのだろうと あきれていました
しかし 小島政二郎の『芥川龍之介』をよんでいて これは芥川の『鼻』のことで
ーこれは禅智内供の生活が少しも書かれていない、だから、内供がやっとたどり着いた平和な心境も、内供の生活心理ではない。あれは、芥川の理窟だ。内供の生活、生活心理が書かれていなければ、小説ではない。物語に過ぎないー

小説と物語の違いは 生活心理が書かれているか いないかなんだということ 
これは小島政二郎の言葉ですが とりあえず 初心者の私はうなずいたのです
それでいくと この夏目漱石の「こころ」には本当に生活心理が描かれています
文が長いのも 考え直そうと自分は思った事でした 
夏目漱石は この『両親と私』でよくそういうときの家の中の事 家族の心理を深く描けているというのか 感心します 
芥川龍之介は夏目漱石にとてもほめられたことがあるとも 書いてあります(小島)
それで自信をつけたのですが

ここのあたりで 自分もこの長さに あきらめかけたのですが ちょっと変りましたです

みをぎさんは 小島政二郎のことをこういわれていますよ。
ー読みやすい文体を発明したのだと、思います。書き言葉と話し言葉とを、限りなく近づけようとしたのでは?
小島政二郎は、晩年、小説のかわりに、食べ物の随筆を書いていますね。江戸っ子なので、東京の美味しいものを、よく知ってますねー

自分は夏目漱石も芥川龍之介にしても そして他の作家もよく知らないので 一冊指標のような本があると 作家の年代とか その生活ぶりだとか ひとつひとつたどっていけるので
いい本をみをぎさんから頂いたなあと思います
それは歴史のことでも絵のことでも 同じように指標とするのがあるとないとでは ちがいますね それもわかりやすいのが。
昔の本は難しいに違いないと思うでしょう? 
それがね
案外 そうではないのがあるんですよ 音楽家のことでもね。
私は いままで お客さんといっしょに いくつかそういうのを 読みましたね。 


《 2019.06.10 Mon  _  読書の時間 》