who am ?I

PAGE TOP

  • 06
  • 05

そういうことにしよう

スキャン4031.jpeg

今の アートを見る
ものが おちるとき そのかたちだと おちはじめて おちつづけて
着地するまでが うつくしい
さかなを鑑賞するんだけど そのいれものが ユニーク

こういうのを見ながら 自分は どんなことをしようとしてきたんだろうと
考えてみるかと

たとえば
向かって上左
子供の絵の所に 異質な物をおいてみる
そうすると 新たなイメージがうまれる
これが 手に似た紙粘土が くものように動き出したら どうだろう
しかし 自分は映像の事も ままならない
「動き出したらどうだろう」で 動き出す事を誘う これでどうかな?
最近 自分の作品は まるで記念撮影のようだな と 思ってた
これも最近の 自分の事をあらわしている そういうことが 見えて来て 表現できるようになったという事かな
そういうことを 「のりこの芸術論」に 書けばいいのだと
ファイルには「芸術論」と銘打った物がちゃんとあるのだから

こどものころの すごろくとか遊び道具は のこっているだけでも 貴重だ
らくがきがみえたり 目を近づけてみれば その行為は 自分かいわいのことだから
興味深い 
そこに 異質な物をおいてみる これはカタガミの上に自分のもちごまを のせている ボタンや布奇の糸まき 色だってぬっている
NEKOもよくいれてるね
まあ 記念撮影
自分は できるだけ 物を すてずにきた
拾う中に 持つという気持ちがあり これがアートだということにしよう
だから捨てる時にも その物が光ったりするのだから 物は生きているということにしよう

今のアートを見ていると その作家が落着いて楽しそうに自分のアートについて語る 
だから自分も そんなふうに 言葉も使いたくなる
この前言った山口薫詩画集「独りの時間」には 読む所が そえものじゃないようで
だから 読んでから 絵を見たりする
そんなのも 彼は今のアーチストではないけれど そそられる
実は 他人の絵は 絵を前にして どういっていいかわからないことがある
言葉もあまりにも難しい事が書いてあると わからないで通り過ぎる
で そういうわけ

《 2019.06.05 Wed  _  ちまたの芸術論 》