こころ 両親と私 夏目漱石 つづき
父は死病にかかっていることをとうから自覚していた。それでいて、眼前にせまりつつある死そのものには気がつかなかった。
「私」の帰った当時はひっそりしすぎるほど静かであった家庭が、こんな事でだんだんざわざわしはじめた。
「おれが死んだら、どうかお母さんを大事にしてやってくれ」
私はこの「おれが死んだら」という言葉に一種の記憶をもっていた。東京を立つ時、先生が奥さんに向かって何べんもそれをくり返したのは、私が卒業した日の晩のことであった。私は笑いを帯びた先生の顔と、縁起でもないと耳をふさいだ奥さんの様子とを思い出した。あの時の「おれが死んだら」は単純な仮定であった。今私が聞くのは、いつ起こるかわからない事実であった。私は先生に対する奥さんの態度を学ぶことができなかった。
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東京での先生とその奥さんの会話と 今の「私」の両親との状況が どこかでつながってくる
自分の身に起きて はじめて あのときの先生と奥さんから学んでなかったのだなあと気づきます