「こころ」夏目漱石 先生と私 つづき
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私は立て掛けた腰をまたおろして、話の区切りのつくまで二人の相手になっていた。
「君はどう思います」と先生が聞いた。
先生が先に死ぬか、奥さんが早く亡くなるか、もとより私に判断のつくべき問題ではなかった。私はただ笑っていた。
「寿命はわかりませんね。私にも」
「こればかりはほんとうに寿命ですからね。生まれた時にちゃんときまった年数をもらってくるんだからしかたがないわ。先生のお父さんやお母さんなんか、ほとんどおんなじよ、あなた、亡くなったのが」
「亡くなられた日がですか」
「まさか日がおなじじゃないけれども。でもまあおんなじよ。だって続いてなくなっちまったんですもの」
この知識は私にとって新しいものであった。私は不思議に思った。
「どうしてそう一度に死なれたんですか」
奥さんは私の問に答えようとした。先生はそれをさえぎった。
「そんな話はおよしよ。つまらないから」
先生は手に持った団扇を(うちわ)わざとぱたぱたいわせた。そうしてまた奥さんを顧みた。
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読者の方々は こういう所を読んでいて いろんなことを思われるでしょうね
私もその中の一人なんですが 夫が急に死にかけたことを思い出したり 寿命は
生まれたときからきめられているなどとなりますと 不思議ですね
私はそんなことを日頃考えずに生きていますが 命は一つしかないのだと