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にっき

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いとも簡単に 手品のように つくるのが 自分のやってみたい事です
で やってみたいから 5、6回はそれに挑戦して かぶって外に出たのが
今日。
もしかして 「ほんのおばかな芸術家」というのは こういうのをいうんじゃないかしら
絵を描くとか「芸術作品」は どこか緊張感がともないます
そんなことをぬきにやってみる事は 楽しい
悩む事も ほとんどない
帽子を本気で作っている人とは ちがう入口だから 気楽
それでも これが 頭にのせられる帽子だとわかるまでいくと
調子に乗る
そこら中の人の頭にのせてみたくなる
どこかのファッションショーにでもかぶってもらえるんじゃないかと
そこまでふくらむ
ファッションショーなんだから もっとあっといわせなきゃと
ひねくりまわすようになる
そのころ
こどもは ほんのこどもです 忙しい それなのに こういうことをやるのは
なぜでしょう
台所のテーブルの下に古着なんかが その材料として ぎゅうぎゅうおとがするくらい
あります
夫は「そんなボロ ほってしまえよ」という
すてられるもんですか
これらは夢と希望にふくらんでいるし 帽子がいっぱいできるはず


1985年の日記からです
36歳ぐらいかな
テーブルの下に古着や布がある台所 もう すごい景色だったろうなあ
私は 毎日見ているから それが ふつうで 平気だったんだろうな
夫は たしかに 怒っていたのです
おしいれから 古着や布を ひっぱりだして ゴミ収集車に連絡して
とりにきてもらったこともあったっけ えらい勢いでカンカンだった夫

あの時の私の頭の中の夢と 現実とのずれの 巨大だったこと
大学ノート(なんで大学なんだろ)にはそのころのわたしに起こった出来事が
記されている訳なんだけど 
今振り返る視線と そのときの頭の中や視線は
ちがってるんだなあ

きのう見たテレビドキュメンタリーでね 自学ノート(そう言ってたと思います)を書き続けている青年のことをやってましたよ
新聞の切り抜きがはってあったりとか 挿絵入りのね ふっくらとかさのあるノート
それを 公の場所に見せたり コンクールに出したり そこから人とのつながりができたり 彼は 自学ノートに夢中だったな 
本棚に並べてありました これを続けたことで とっても自信ができているふうに見えました 
コンテストもあったらしく 何度も優勝 表彰状がかざってありしました
日記帳と呼ばずに 自学ノートとしたところが ぐーだね
それをこどものときにやって 見せようとしたのも ラッキーだね
私も 10代の頃から日記書いてたけど 一回そういうことをしようとして
でもほんとうは日記じゃなくて 絵を見てもらおうとしてたのに 日記なんかを
見せようとしたから 失敗 でも ちゃんと送り返してくれたことで 大切に思ってくれたんだなあと思いますね そのときは 恥ずかしいばっかりで 気がつきませんでしたが 
そういえば 詩も 見てもらった事があるなあ
それが 今考えると ヘタな詩なんだな
でも ていねいに読んでくれた詩人がいて うれしかったです 

自学ノートのこの青年は 言葉でまわりに伝えるのは 苦手だったし スポーツもみんなといっしょにやるのは 苦手だったと振り返って言っていますね
 自学ノートという場所が 一番おちつく場所だったというのは わかります
だけどそこから まっすぐな目をして「見てください」と 見てもらいたい相手に 言うのは 難関ですよ ああ難関ですよ(笑い) 
思い出すたびに やっぱり 冷や汗もんですけど ああいうことやってて よかったのかなあ 今でも わかりません
で いまこういうかたちで 「お客さん見て読んでください」と続けているのは
これは うれしいかな 私も こういうやりかたなら できるかもと 人の意見を聞いて
思いました それが見つかると お客さん いいですよ
時代はこういうことができるようになったわけでね
やった事を すぐ忘れる いい年齢になってきていますしね





《 2019.05.02 Thu  _  これくしょん 》