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こころ 夏目漱石

「こころ」夏目漱石 先生と私 つづき

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 先生の言葉はもとよりもなお興奮していた。しかし私の驚いたのは、けっしてその調子ではなかった。むしろ先生の言葉が私の耳に訴える意味そのものであった。先生の口からこんな自白を聞くのは、いかな私にもまったくの意外に相違なかった。私は先生の性質の特色として、こんな執着力をいまだかって想像したことさえなかった。私は先生をもっと弱い人として信じていた。そうしてその弱くて高いところに、私のなつかしみの根を置いていた。一時の気分で先生にちょっと盾を突いてみようとした私は、この言葉の前に小さくなった。先生はこう言った。
 「私はひとに欺かれたのです。しかも血のつづいた親戚のものから欺かれたのです。私はけっしてそれを忘れないのです。私の父の前には善人であったらしい彼らは、父の死ぬやいなや許しがたい不徳義漢に変ったのです。私は彼らから受けた屈辱と損害を子供の時から今日までしょわされている。おそらく死ぬまでしょわされどうしでしょう。私は死ぬまでそれを忘れることができないんだから。しかし私はまだ復讐をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない。彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。私はそれでたくさんだと思う」
 私は慰謝の言葉さえ口へ出せなかった。


先生はこう言った。「私はひとに欺かれたのです」ここからはじまる 先生の言葉は
復讐 復讐をしずにいる 個人に対する復讐以上の事 憎むばかりじゃない
彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ
私はそれでたくさんだと思う

ここは「こころ」の中心だと 思ってしまっている私ですがまだ「36」まで続くようです。
私はこれでたくさんだと思う この言葉が 私に考えさせようとしています
それにしても 夏目漱石という人は 「こころ」を幾つの時に書いたのでしょう
50歳でなくなったとありますが 「こころ」は晩年の作だそうです
ここにきて 笑ってられなくなるのです

《 2019.04.06 Sat  _  読書の時間 》