「こころ」夏目漱石 先生と私 つづき
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その時の私は先生を憎らしく思った。肩を並べて歩きだしてからも、自分の聞きたいことをわざと聞かずにいた。しかし先生のほうでは、それに気がついていたのか、いないのか、まるで私の態度にこだわる様子を見せなかった。いつものとおり沈黙がちにおちつきはらった歩調をすまして運んで行くので、私は少し業腹(ごうはら)になった。なんとかいってひとつ先生をやっつけてみたくなってきた。
「先生」
「なんですか」
「先生はさっき少し興奮なさいましたね。あの植木屋の庭で休んでいる時に。私は先生の興奮したのをめったに見たことがないんですが、きょうは珍しいところを拝見したような気がします」
先生はすぐ返事をしなかった。私はてごたえのあったようにも思った。また的が外れたようにも感じた。しかたがないからあとは言わないことにした。すると先生がいきなり道の端へ寄って行った。そうしてきれいに刈り込んだ生垣の下で、裾をまくって小便をした。私は先生が用を足すあいだぼんやりそこに立っていた。
*
人間はだれでもいざというまぎわに悪人になるんだ
金さ君。金を見ると、どんな君子でも悪人になるのさ
君の気分だって、私の返事一つですぐ変るじゃないか
先生が興奮したのは これらの時でしたか
先生がなぜこういうことを興奮して言ったのか 「私」はわからない
その心の中を 探って行く時の「私」の言葉と心
わからないことを ゆっくり寄り道をしながら いきなり先生が小便をした
となります
先生はなかなかはきませんね