「こころ」夏目漱石 先生と私 つづき
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「君のうちに財産があるなら、今のうちによく始末をつけてもらっておかないといけないと思うがね、よけいなお世話だけれども。君のお父さんが達者なうちに、もらうものはちゃんともらっておくようにしたらどうですか。万一の事があったあとで、いちばんめんどうの起こるのは財産の問題だから」
「ええ」
私は先生の言葉に大した注意をはらわなかった。私の家庭でそんな心配をしているものは、私にかぎらず、父にしろ母にしろ、一人もないと私は信じていた。そのうえ先生のいうことの、先生として、あまりに実際的なのに私は少し驚かされた。しかしそこは年長者に対する平生の敬意が私を無口にした。
「あなたのお父さんが亡くなられるのを、今から予想してかかるような言葉づかいをするのが気にさわったら許してくれたまえ。しかし人間は死ぬものだからね。どんなに達者なものでも、いつ死ぬかわからないものだからね」
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先生の実際的な話を 私もじっと聞いている気分です