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面倒だ

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へびろうそくの話なんだけど
まっすぐなときは 何にも考えているふうではない ただの棒
ところが とぐろをまくとね とたんに かわるのよ
どういうふうにかわるかっていうとね 説明するのは めんどくさいんだけどね
つまり 調子に乗るのよ へびのくせに
まず ろうそくだから 火をともすでしょ
これでもかなり グロテスクなのにね しっぽにも 火をともせって
いうわけ
そのとおりにしてやると しっぽだから 火がよく見えないって
まっすぐなときは 単純で こんなことは言わないんだよ

話は変わるんですが
2002年ごろのね五木寛之さんの 「みみずくの夜メール」という新聞の
連載があるんです。朝日新聞だったと思うんだけど。
で2019年、私のファイルの中から この五木さんの連載をみつけて 読んでみたんです。これは『起きて面倒 寝て面倒』
全部書き写したいんですけど こりゃ 夏目漱石の写し連載をもつ私としたら
ちょっときついですかね。

ー食べることと同じように眠るのにもエネルギーがいるのだそうだ。赤ん坊がよく眠るのは、エネルギーが沢山あるからだという。
こういう書き出しから始まるんですがね。五木さんは これを読んでいきますと ちょっとかわっているかもしれません。あの風貌からだと ふつうの紳士のように見えるからです。ふつうってなんだ?ということになるんですが そこの所が驚きで おもしろくて
読んでいるんです。先ほども申しましたように 全部書き写せない代りに 私が 「」を色鉛筆でつけているところだけ 書き写してみますね。
「老いる」とは
 年をとると、水を飲まなくなる、という話を聞いた。体の乾きを自覚しにくくなり、そのために必要な水分をとらずにすごすことが多いらしい。 しかし、水を飲むにもエネルギーがいる。何をするにもエネルギーは必要なのだ。それが面倒で、人生が痩せ細っていくことを、老いると言うのだろうか。 眠るのも面倒くさい。わざわざ水を飲むのも面倒だ。食べるのも面倒で、電話に出るなどというのは面倒の極みだ。そのあげく、息をするのさえ面倒になるかもしれない。それを死というのかもしれない。 そんなふうだから、いろんなことが山積みになって、いまにも頭の上から音を立てて、崩れてきそうだ。耳に垢はたまる、足の爪はのびる、髪も一、二カ月に一回は洗わなければならない。 私が髪を洗わないというのを冗談だと思っている人がいた。若い頃は、年に二度、盆暮れに洗っていたのだが、それではあんまりだと思って、季節の変わり目にはシャンプーをするように生活習慣を改めたのは、四十代にはいってからのことだ。いまは大進歩して、一、二カ月に一回は洗う。

とこんなぐあいです。
五木さんが 夜中に原稿をメールしていると思うと この人はパソコンで仕事をしてるんだと 2002年ごろには気づかなかったことも 2019年には あったりして。
おふろのことも 髪を一、二カ月に一回洗うだけだということも そんなふうにできたらどんな気分だろうと 五木さんはそれが日常だからいいとして 自分はどうなんだろうと思います。五木さんのこの面倒とは いったいと感心してしまって 笑いが止まらなくなったりします。そして もしかして 人はそれぞれに 面倒 の場所があって 私の場合は 人混みに出るとか レストランで食事をするとか これらが 面倒なんじゃないかと笑いながら こじつけてみたりするのでした。
ここまで打つと もう少しいってみたいと思います。
体を洗うと
 ベトナム戦争の頃、米軍の海兵隊員たちはシャワーを浴びても体を洗うな、と古参兵に教えられたという。よくわからないが、雨中のジャングルでは、脂気のない肌は命取りになりかねないらしい。 むかし、遠藤周作さんが、私にまじめな顔で、こうきいたことがある。 「イツキさん、きみは風呂にはいったとき、体を洗うかね」 洗います、と答えたら、大きなため息をついて、こうおっしゃった。 「それはいかん。大変なことだぞ、きみ。実はな、先日、生きたウナギを洗面器に入れて、ガーゼできれいに体のヌルヌルを取ってやったんだよ。そしたら、どうだ、たちまち全員くたばっちまった。生物には皮膚のヌルヌルは絶対に必要なものなんだ。風呂にはいるのはいいが、せっけんで体を洗ったりしちゃいけない。わかったね、きみ」

これで最後じゃありませんよ。なにしろ私は夏目先生の連載を。 

《 2019.02.24 Sun  _   》