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いざ信州へ

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きのうは母の引っ越しのことを書きましたね
大阪の私たちの家の上を高速道路とかが(はっきり覚えていないんです) 通る
というので その家にはいってから7年目ぐらいですかね 夫はさっそく
べつの土地探しを考えはじめたんです。
こういうことは けっこうそういう話があってからも すぐにはそうならないそうです
だから 周りを見ても 急いでいるふうな人たちを見かけなかったように思います。
夫は 新しいことが始まる予感にうきうきする人なんだと 思います。
こどもがふえるたびに どこかもうちょっと広い所はないかなあと まえのときは
大阪のこの家に引っ越して来たのでした。 7年目でしたので 今回も7年目だと思いましたよ。7年目の浮気っていうのもありましたよね。マリリンモンローの
ま そういうわけで 夫は不動産屋さんに行ったりしていましたね。
私は 引っ越しはあまり好きじゃありません。学生時代から ええまだいるの?
というぐらい寮にいましたし 働きだしてからも にわとりごやとよばれていた
狭い寮の一部屋に 長くいました。まあ 家族寮にはいると広いのですが これは結婚しなければはいれませんから。
部屋を特別工夫して気に入っていたという訳でもないのですが
なじむんですね そこに。
あっ このままいきますと私の話でおわってしまいますよね。

結局 絵描きの友だち夫婦が新婚時代を過ごしたという北アルプスのふもと辺りが候補に挙げられました。というのも「朝窓を開ければ 美しい山が見えてそれはそれは」でしたっけ 夫はこの話になると おなじことばをくり返すのでしたが ここは7年をゆうに超えて30年近くになりますので このごろは その話もあまり出なくなって その言葉も
忘れてしまいました。
さてその引っ越しのときの話し
夫は さっそく信州にとびます、はやいのです やることが。
私の兄の知り合いの方がいるというので
そのかたに大工さんを紹介してもらい 土地探しも手伝ってもらい 
で とりあえず 借家を借りて 家が建つまで そこに住むことにしました
これも大工さんが見つけてくれました。
私と子供たちが信州に来たのは 大阪から引っ越してくる時でした。一度も見ずに 夫だけその土地を見て 引っ越しのトラックにいっぱい荷物をのせてね。 
べつの車で家族と犬と 運転は四国の夫の親友のSさんの運転で。 四国からわざわざ出て来てくれたんですね 今考えてみると。 
夜逃げじゃないんですけど クリスマスイブの夜に雪の舞い散るこの土地にやって来ました。  
引っ越しというのは えてしてこういうもんだと
何度か引っ越しすると 思いますね。
馴染んだ土地やご近所さんとはなれて 新しい土地に舞い降りるんですからね
鶴だって そんな 新しい土地に舞い降りることはないでしょう?
義父や母は 新しい家が立ってから来てもらうことになったのですが
その間に夫や私は 教習所で運転免許を取りに行きました
息子や夫は案外早かったんですけど 私はなかなかとれませんでした。だからちかくの
尼さんのいるお寺に「お願いですから」と参りに行ったほどです。
免許取り立ての時にはじめて遠出したのが 兵庫の母の引っ越しです。
ワゴン車で 夫も勇気のある人です。とにかく免許が取れたら 友だちが信州に来たらその車で ひょいとあぶないシーンを経験しつつ 夫のこの楽観的な所は 私にはありませんね。私もやっととれた車で 子供を乗せましたが その危ない運転ぶりは スピード違反というのではなく「ゆっくりすぎる違反」ってところだったでしょうか。今でもこどもはそれを笑いの種にするのですが。

十腰の話に戻りますね
 
しかし 私もただ乗せられて来ただけではありませんよ
トラックの中身ですよ
私は大阪で7年住んだ土地で 何がよかったのかといいますと
たびたびの 粗大ゴミひろいの経験です
みなさんにごらんいただいている 物たちの数々は そこからきています
この引っ越しの話が かすかに出始めた時から 私は それをせっせと箱に詰めはじめました。
私たちはその頃 月6000円の(たしか)アトリエを持っていました。天下の貧乏絵描きが(笑い)アトリエをそれも古いが床も窓も傾いているが けっこう広いその場所なのでした。
で 私は せっせと物を自転車にて 拾い集めてきたのです。それは子育ての忙しいことも夫のことも もろもろのやっかいごとも すべての上を行く 大したことでした。
拾いに行く前の日はうれしくて寝られないという具合でしたから そうとうのものでした。
しかし「ちりもたまればごみとなる」ううん..ちゃうなあ それを夫に内緒で 箱詰めするとなると 何日もかかります。トラックの中身が じつは大半がそれだったというのは これまた大変なことなのですが 新しい土地に馴染めるかなんてことより 私には この荷物を確実に新しい土地に運び込むという 大きな任務があったのです はい

借家はもと歯医者さんだったうちで 大きくて池があって 氷のしたに赤い金魚が泳いでいました。そこが裏側なんですが 縁側から釣りをしようかと夫はのんきなことをいっておりました。寒いのはもう寒いのなんのって。風呂なんか恐ろしいほど寒かったですね。
大工さんが温泉に連れてってくれるのですが 毎日そんなこともやってられませんので
タクシーで行こうということになりました。ところが 温泉代よりも高い
はやく 家が建たないかなあと思いましたよ。
ここらへんでは 家が建つまで 大工さんにお茶を出すらしいんですが 私がそんなこと無理だようというと 大工さんは笑いながら うちのが用意するから とにかく顔を出せといわれました。
顔だけならというので 私は借家から自転車にのったり 歩いたりして行きました。
ところが 大工さんの奥さんというのは まるでうちのご飯以上のものを出してくれるんです。他のところはわかりませんからなんとも言えませんが 私はこうして信州での生活が始まったのでした。

借家の不平をいいましたが 実はこの2階を自分のアトリエにしました。そこはもちろん寒いことこの上ないんですが 元診察台らしきところに 例の大阪で集めたものをおき 写真を撮ると 大きな窓からはいってくる光で とてもいい写真が撮れるんです。最初のうちは毛布を腰に巻いて写真を撮っていましたが いくら信州でもいつまでも冬というわけではありませんね。そこから見える北アルプスの山の真っ白から 春の緑になって行くさまは 朝夕目を見張るようでしたね。今はこういう景色になれましたが はじめは驚きましたね。
新しい家は 何カ月もかかりました。でネズミのよく出るこの家も 出て行くとなると
このアトリエがなごりおしかったですねえ

新しい家は 見上げるように大きな家で 周りに植木も何もないので よけいに大きく見えました。

  

《 2019.02.21 Thu  _  思い出 》