「こころ」夏目漱石 先生と私 つづき
我々は群衆の中にいた。群衆はいずれもうれしそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。
「恋は罪悪ですか」と私がその時突然聞いた。
「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。
「なぜですか」
「なぜだかいまにわかります。いまにじゃない、もうわかっているはずです。あなたの心はとっくの昔から既に恋で動いているじゃありませんか」
私は一応自分の胸の中を調べてみた。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものはなんにもなかった。
「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」
「目的物がないから動くのです。あればおちつけるだろうと思って動きたくなるのです」
「今それほど動いちゃいません」
「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」
「それはそうかもしれません。しかしそれは恋とは違います」
「恋に登る段階なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」
*
恋に登る段階
そうなんですか
先生が ものが分かった人だから こういう言い方ができるのか
恋の成就にたどり着くまで こういう階段を しらずしらずのうちに 登っているのか
ここは文学として 深いのか
コメディでも つかえるのか
心理学でも いけるのか
夏目漱石という人は 作品において とても面白いふうに書く人なんですね
今頃そんなことを言ってて どーすんのと思われそうですがね
「目的物がないから動くのです。あればおちつけるだろうと思って動きたくなるのです」