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こころ 夏目漱石

『こころ』夏目漱石 つづき


 学校の授業が始まるにはまだだいぶ日数があるので、鎌倉におってもよし、帰ってもいいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。友だちは中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変わりもしなかった。したがって一人ぼっちになった私はべつにかっこうな宿を捜すめんどうももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷を(なわて)一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるにはしごく便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出かけた。古いくすぶり返った藁葺きの間を通り抜けて磯へおりると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかとおもうほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。或る時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしていることもあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういうにぎやかな景色の中につつま
れて、砂の上に寝そべってみたり、膝頭を(ひざがしら)波に打たして、そこいらをはね回るのは愉快であった。
 私はじつに先生をこの雑沓の(ざっとう)間に見つけ出したのである。その時海岸には
掛茶屋(かけじゃや)が二軒あった。私はふとしたはずみからその一軒のほうに行きなれていた。長谷辺(はせへん)に大きな別荘を構えている人と違って、めいめいに専有の着替場をこしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着替所といったふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息するほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで塩はゆいからだを清めたり、ここへ帽子や傘を預けたりするのである。海水着を持たない私にも持ち物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へいっさいを脱ぎすてることにことにしていた。


鎌倉の海水浴場の話を 黙々と打っていました。
まだ 私は この本の 面白い所にはたどり着けていないので 海水浴場はこういう所があるのかなんてもんです
そういえば 十数年前 子どもらが海水浴をするのについて行ったことがあります
さて着替えようとしますと かってに そこで着替えると いけないそうなんですね
なんてケチな海水浴場だろうと 思いました。シャワーだって 有料で 海にはいるのは
めんどくさいもんだなと 思いましたよ
それなのに シーズンだと 客が多いでしょ みんなこういうふうにして そこにいるのかとね。財布だって もって泳ぐわけにはいきませんしね
小さな子供がいるときまでは 水着というものを持っていました
なるべく おなかが隠れそうなのをね 気がつけば もうそんなもの 着ることもありません 時が経つって こういうことなんだなあと ここでは思いました
何の話? ですよね そのうち本にそって話を進めて行きますね

私はじつに先生をこの雑沓の間に見つけ出したのである
《 2018.12.11 Tue  _  読書の時間 》