「大きい荷物」吉行淳之介 つづき
四
あちこち開いているうちに、
『病院の廊下の長い椅子。
右上で同質の声』
という二行があった。
これは、はっきりしている。病院の廊下のベンチに座って、診察の順番がくるのを待っていた。こういうときは、本を読んでる(呼んでるとあるけど)か項垂(うなだ)れるかしている。
斜め右上あたりで、会話の声が聞こえてきた。その片方の人物の声が、あきらかに私と同じ質の声である。つまり、小説家の声であるが、聞き覚えのある声ではない。頭を上げて確かめると、先輩作家が医師と立ばなしをしていた。面識がある程度なので、また下を向いてしまってそのままになった。
十年余り前のことか、とおもったが、そのメモは万年筆で記してある、二十年くらい前、ということになる。
『指環
片腕のタダレ』という二行もある。
万年筆とその書体から見て、この手帖を買って間もない時期、三十年近く前のメモである。これもすぐに分った。三十年前のことでもあり、現在のことでもあるためだろう。
医学書の翻訳を見付けて、メモしたものとおもえる。
*
『面識がある程度なので、また下を向いてしまってそのままになった』
『右上で同質の声』
小説とか 詩 とか私たちは 区別していると思うんだけど
私には この人の ここらへんは 詩に 思えます
三十年前を 言葉の片鱗から しゅっと つりあげるなんて
それは 長い文であったりではなく 短い言葉
そして それは はっきりしたものであったり 今もそうであったり
そのてがかりのところは 詩
そのあいだに 文
なんちゃって のりぞー