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アラン先生の授業

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81 デッサンと絵画 アラン 平凡社

つづき

ところが、情念というやつは、おぞましいヘビの姿を描く。そのいやらしさによって、
すぐにヘビだとわからせるが、そいつは、実物にはちっとも似ていない。開かれたヘビの口は、いつだって、実際よりは大きく見えるものだ。ちょうどおうへいな人間の鼻がひどく大きく見え、意地悪な人間の目がひどくくぼんで黒く見えるようなものだ。こういう例は、ほかにもある。戯画をつくるのは、攻撃の、あるいは防御の衝動である。ヴァレリーは、彼の詩の中で、一種の怪物であるヘビを描いた。それは、すべての不如意を要約したような、意地の悪いものである。詩が、詩に独自の手段によって、われわれを恐怖から救うのは、真実である。しかし、版画家は、ありのままのヘビを、かくもみごとに完結し、かくもそれ自体として完璧なヘビを、装飾に仕立てる。それは、すこしも悪魔的ではない。悪魔的なのは、想像力のほうである。
 絵画が、つねに観照の(しゅかんをまじえずありのまま)正しさ保ちながら、しかも、それとはべつの手段、べつの動作、べつの備えかたによって、モデルの真実をどのように表現するか、ということを説明するのは、むつかしい。この芸術は、おそらく、デッサンよりも、秘密が多い。この完璧に出来上がったデッサンというものには、加筆の跡がない。ところが、絵画は、加筆以外のなにものでもない。在る正直な画家は、絵を見ては、よくこういったものだ。「こいつはたっぷりと描かれちゃいない。」タッチにタッチを重ねる。それが絵画である。ここにもまた、なんの興奮もない、節度ある、決然たる、一つの運動が見られる。しかし、タッチを加えては、すぐまた身を引っこめる、この運動は、デッサンを否定する。現れ出てくるものは、もはや、制限され、輪郭づけられた形ではない。それは、もはや、みずからに限定された存在の、あの充足性ではない。レンブラントが描いたある肖像画においては、頭のてっぺんをかぎっている線が、とらえがたくなっている。むしろ、その肖像は、描かれた事物の全体から湧き出たように、あるいは浮き出たように見える。しかも、その全体と肖像とは、ぜんぜん、分離されていないのだ。描かれた肖像画がそこから浮き出ている、あの模糊とした(はっきりしないさま)暗い背景は、えもいえずふしぎなものである。それは、程度の差はあるにしろ、消された世界である。しかも、親密な関係と移行とによって存在している世界である。それは、普遍的な影である。かりに、この背景が、風景であったり、家具であったり、壁掛けであったりしたら、このパルティシパシオン(分担と訳される)の奇跡は、ごくごく稀にしか現れなかったろう。ここでは、デッサンが、画家を待ち伏せしている。だからといって、絵画の条件には、変りがない。描かれたこの人間は、対象の全体のなかにあり、その全体によって照明を受け、ささえられ、育まれていなければならない。特定の存在というものの不十分さを、形によって表すことが、おそらく、絵画の特質であろう。この点で、絵画は、デッサンとは対蹠的である(全く反対である)。ヴァレリーの「プラタナス」を読み返してみたまえ。そこでは、デッサンは、はるかに、詩に劣っていよう。しかし、絵画は、詩に近いかもしれない。

***

デッサンは 絵画ではないわけですね この方から言わせると
しかし絵画はえもいえず不思議なものとなっている 
レンブラントの ある肖像画は タッチにタッチを重ねる
「こいつは、たっぷりと描かれちゃいない」
なんの興奮もない、節度ある、決然たる、一つの運動が見られる
しかしタッチを加えては、すぐまた身を引っこめる
この運動は、デッサンを否定する
現れでてくるものは、もはや制限され、輪郭づけられた形ではない。
それは、もはや、みずからに限定された存在の、あの充足性ではない。

絵画は詩に近いかもしれない


わたしは こういうことを読んだことも無く なかば楽しく 絵を描いてきました
だから 一回 むずかしいけれども こういう話を 読んでみたいと思っていたんです。やー そうですか。レンブラントの画集を 見てみようかな
特に肖像画 
そこにむかうレンブラント なんだかかっこいいですよね

そうそう こんな話のあとに この上の写真
てれるなあ ま いいですよね

このベスト 実は そでがついてたんです。素材はとてもいいものに見えました
だけど とにかく肩がコル服だったんです ニコル 言ってる場合じゃないですが
その味のある生地とボタンを あきらめることはできず ベストにしたんです
それでもどこかコルんです。いまはなき ベストです
向かって右は ショルダー時代のもの いくつもつくりました

レンブラントさんみたいに 興奮せず節度を持って そうじゃなかったことはたしか
のぼせて はやくつくりたいと あつくるしかったなあ
こどものことは これは「ばんどえー!」とよく泣いてバンドエイドを貼ってくれと

向かって右は 針金時代
 
日々 夢中になったことがありまして 子育ての合間にやるものですから
あせっていましたね
落ち着いてなんかいませんから こういう アラン先生の授業は  
1から話を聴いています
新鮮ですね 
《 2018.11.03 Sat  _  読書の時間 》