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アラン先生の授業

81デッサンと絵画 アラン

 デッサンを描く者も、愛想がよい。彼も同じように自分に備える。同じように、自分を解放する。手荒な力は、鉛筆の先を折るだろう。風刺に走れば、たちまち、デッサンを殺す。日常言語では、へたなデッサンのことを「悪い」デッサンという。デッサンは自分の筆使いが正しくないかぎり、その形も正しいものではありえない。つまり、純粋で、重たくなく、乱暴でなく、粗野でないことが、必要である。版画家としてのレンブラントの手にかかると、年老いた高利貸しも、子どもと同等に、もしくは同等に近く、美しい。小手先によってではなく、あの筆づかいの正しさ、とも呼びたいところである。怒りを含まない線。そして同時に、部分の的確なつりあい。こうしたものが、われわれをして、あの高利貸の中にも、
ワニとかヘビとか花とかにおけると同等の、確信にみちた、生気あふるる均衡を把握するにいたらしめるのだ。


わたしはいま大学生です
デッサンについて 講義を受けているところです
怒りをふくまない線

《 2018.11.01 Thu  _  読書の時間 》