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家探し

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1982年 日記から 33歳

わたしは 西向きの家のことにえらいこだわっていて
「ええっと Nさんの家はどこやったかなあ わたしとこは西向きやから
Nさんとこが逆向きやったら大変やん」
そんなことをつぶやきながら 一軒一軒見て歩く

ここの文化住宅は 入り口が狭くてかなりいたんでる
戸口に花の植木鉢があるわけでもなく なんとなく殺風景だ
今住んでいるところには わたしの家以外は とてもそういうところが
あったかい
「家に対する愛着かなあ」そう不動産屋さんにいうと
「あっ それはいえると思いますよ 正直言って外装は 文化住宅(借家)ですから
勝手に変えられませんからね でもそんかわり 家の中はずっときれいにしてはりますよ」
我が家の内装はというと 外装と同じくらい ごたついている
「不動屋さん 見てるな」なんてことを 思ったりしながら
わたしが Nさんの家を探している間に A住宅の不動屋さんが その骨だらけの
建ちかけの家の前で 大工さんと話をしていたのだ
わたしは お互いまずいところで会ったようで 「わっ」と言った


この話は こんなところでおわっています
このあと 子供たちが次々と風邪をひいてしまって それどころじゃなくなるのです
話の内容も 自分で書いているくせに どういうことなのか 思い出せません
なんで「わっ」なのか
でも覚えていることがあります
この骨組みだけの家は 昔ながらの文化住宅の中に 一軒 建っているんです
普通の暮らしを長年していて もうだいぶ古くなっている住宅の間に ちょっと差をつけて 一軒だけ ピカピカの家
どうも 景観からしても しっくりきません

今の家だと 隣近所と立ち話をして こどもたちがいて おばあちゃんは かんてきで
火をおこしていたりしたんです
おしょうゆだってかりにいくし 子供たちが遊んだり入れてもらったりする家があり
お昼は連れ立って もちよりの 食事をしたりして(エプロンさんの豆からひくコーヒーがおいしかったなぁ)
考えてみれば わたしは 恵まれていたのです
その一人が カワバタエプロンさんです
家のよくないところを さんざんいったその家を 買ってくれたのは この一家でした
考えてみれば 自分たちは さっさと広いうちに引っ越しして 悪い事したかもしれないと こうして打っていて 思います

でも 想像するに あそこの近所は ほんとうにあったかかった
そしていまでも エプロンさんの手紙の中からは そういう近所付き合いのことが
でてくる ご主人だってパチンコにも行けるし 知らない土地に行くのもいいけど
ずっと そうやってくらすのも 幸せかもしれないと

さて わたしたちは この骨組み中の家へは引っ越ししなかった
わたしが 出産で病院に行っている間に 枚方市に住む義姉さんとこが家を見つけてきてくれたのだった
わたしは 男の子をだいて なにもせずぼーっとした産後の頭で 奈良の義兄さんの車で引っ越しをしたのだ
「奈良のおじちゃんって どんな人やったん?」そうこの息子に聞かれたら
「生まれて間のない お母さんとあんたを 引っ越し先の交野市に 車で運んでくれたんよ おじちゃん」
そう言う
義兄さんは もういない 


話は変わりますが 上の作品は 主役はレコードかな
そうレコードは レトロなものになってしまいました こんなふうに
はりつけたりするほどにね
こういう変化を迎える毎に いつもはじめは「CDなんてこんな貧弱なジャケット」
などと抵抗していました
でも あっというまに 自身も次の物にもっていかれてしまいます

36年前の あの文化住宅 そして新しい建ちかけのうち どうなっているんでしょうね


  


《 2018.10.19 Fri  _  日記(日々) 》