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とても 役に立った 三行

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日記帳
自分は 読み返すのが 好きだというには そうじゃないと思うし
子供や周りに見せると 時分以上にひきこまれないというのも
わかっている
それでも 日記が書物であるとしたら きっと何度か読むに違いない

わたしは のこされた母の日記帳も もっている
それでも こんなに熱心には読まない
共有するところが 少ないからなのか 文字が読みにくいからなのか
母が喋ってくれた 戦火の中を逃げ回った話の方が 記憶に残っている
母は ごはんを食べながら いろんなことを 目に見えるように
うまく 喋った
父は そのことを「おかあちゃんは うまいやろ」とうれしそうにほめた

で 自分の日記の話に戻るんだけど
読んだあと ふっと 日記には 跡継ぎがいないんだなあなどと思う 
日記の事を どう考えてやればいいんだろうと 心配したりする
人によっては 証拠隠滅のように すてたり 燃やしてしまったりする人もいる
自分のだって確かに そういうところが かなりある
だけど 日記は 三日坊主から はじめて抜けださせてくれた名誉の品だと 
わたしは思い込んでいる
この歳にいたっては 喋る事と 書く事とははっきり分かれてしまった
自分は喋るとき 主語も述語も無く なにをいっているのか さっぱりわからない
といわれることがよくある
でも こうして打つ事は ぽんぽんとかろやかで だいたい うまくいってると
信じている 

きょう そんな日記を 大事そうに抱える自分が 「そうね そうするわ」
と思わせてくれた 詩がある それもその詩の最後の三行
「釣り上げては」アーサー・ビナード 思潮社2000年

ー記憶は ひんやりした流れの中に立って
糸を静かに投げ入れ 釣り上げては
流れの中へまた 放すがいい。ー

わたしは うんうんとうなずく
用心深い私は 流れの中に放して また ばしゃばしゃと
取り戻しに行ってもいいんだよね 
そう確認しながら
《 2018.08.22 Wed  _  日記(日々) 》