who am ?I

PAGE TOP

  • 08
  • 05

かもめ

かもめ 太宰治

「このごろ、どうしてだか、いよいよ懐かしくなってきました。僕は古いのかも知れませんね。 僕はちっとも自分の心を誇っていません。誇るどころか、実に、いやらしいものだと恥じています。宿業という言葉は、どういう意味だか、よく知りませんけれど、それに近いものを自身に感じています。罪の子、というと、へんに牧師さんくさくなって、いけませんが、なんといったらいいのかなあ、おれは悪い事を、いつかやらかした、おれは、汚ねえ奴だという意識ですね、その意識を、どうしても消すことができないので、僕は、いつでも卑屈なんです。どうも、自分でも、閉口なのですが、ーでも」言いかけて、またもや、つまずいてしまった。聖書のことを言おうと思ったのだ。私は、あれで救われたことがある、と言おうと思ったのだが、どうもてれくさくて、言えない。いのちは糧にまさり、からだは衣に勝るならずや。空飛ぶ鳥を見よ、播かず(まかず)、刈らず、倉に収めず。野の百合は如何にして育つかを思え、労せず、紡がざるなり、されど栄華を極めしソロモンだに、その服装(装い)この花の一つにも如かざりき(し)。きょうありて明日、炉に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装い給えば、まして汝らをや。汝ら、之よりも遥かに優るる者ならずや。というキリストの慰めが、私に、「ボオズでなく」生きる力を与えてくれたことが、あったのだ。

***

この作家をなぐさめたという 聖書の言葉を 読んでみました。
「自分はいい人間ではない」 「いつでも卑屈なんです という
この人は 私とも同じだと思うんですけど この言葉は言い切っていますよね。
そんなに言い切らなくてもいいのに そう思うときもあるんですけど
この人は 「でも」と言いかけて また言葉につまるんですよね
言葉につまり続けたら 文はなりたたないからね

 そういう人が 慰められる言葉を 自分も何度か読みたいと しかし 自分は
言葉はそう簡単に覚えられるわけではなく でも だいたいのことを
大意って言うんでしたっけ? わかるのです 鳥を見ても 野の草を見ても
この大意を 思い出すね

もしかして はっきり自信を持って言い切れない事って みえないし あるし
つまるなら つまったほうがいいよと 自分は思ってたりします



《 2018.08.05 Sun  _  1ぺーじ 》