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日記帳

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Noriko・Tochio は 1967年 
このノートで 英語を勉強していました。
その英語は いまは 読めないのです。
インド人の男性と文通してる。さっぱり読めなかったもんなあ。
でつづいて 英語はきえて 日記になっています。
「これはすてなくては」というぐらい えらそうで
人 世間 親 いろんなところに悪口を 書いています。

今69歳ですけど 
「ここんところは 黙っとこう あそこに関しては落ち着こう」
などと だから 日記帳も こんなふうなのは 今 ありません。
今は 人から見ても 自分から見ても さわやかなことを 書いているのかしら。 
いかりとか きれるとか はめつてきとか
でも 「あなたはそういう人なんですね」と言われるかな。
ねっこに のこるものなのかな。
あれは 「はずかしいことなんでしょうか」「あの頃と今とは ちがっているのでしょうか」 と しおらしく たずねてみようかな。

話は変わりますが
「こんなところに 日本人」でしたっけ?テレビの番組の話です。
もう自分は 一緒について行った気分になり おもわず「暑すぎる」とか
「バスで何時間かかるの」と気持ち悪くなったりします。
でも そんな奥地のジャングルの中とか 日本人が銃で脅されて 
殺されそうになったりする所に 住む日本の80代の人。
若いとき 新天地を求めて 国の広告を見て(それは広告とはだいぶちがって
ひどいところだった)
 それでも そこにいようと いう人たちの 明るさは なんだ?

人間の血も吸うヒルや けむしがいるところで 蜂蜜を求めて旅する若者
いろんな日本人がいたなあ

「ゼロから 出発する人たち」の話を聞きたい。   
いつものように バスにゆられながら想像する。
何十年も前に出て行った故郷 日本 それからの長い道のりと 苦労をおいて 発展している日本に行くのって できないもんなんだろうな。 日本は住みやすい所だよ といわれても 何十年とも現地で住めば 日本はなれない外国かも。 むかしの日本をなつかしがるということぐらいかも。
住んだ所が 住む所
そこにもともと住む人たちの気質も ちがうのかも 市場でも 生活ぶりでも。

飛び込んだばかりの人は また どうなるんだろうな。

そういうふうになった きっかけを本人に聞くところも楽しみ。

テレビは 面白いぞ




《 2018.08.01 Wed  _  わたしでいいですか? 》