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かもめ

かもめ 大宰治

 エゴが喪失してしまっているのだ。それから、ーと言いかけて、これも言いたくなし。
もう一つ言える。私を信じないやつは、ばかだ。
 さて、兵隊さんの原稿の話であるが、私は、てれくさいのを堪えて、編輯者にお願いする。ときたま、載せてもらえるときがある。その雑誌の広告が新聞に出て、その兵隊さんの名前も、立派な小説家の名前とならんでいるのを見たときは、私は、六年まえ、はじめて或る文芸雑誌に私の小品が発表された、そのときの二倍くらい、うれしかった。ありがたいと思った。早速、編輯者へ、千万遍のお礼を述べる。新聞の広告を切り抜いて戦線へ送る。お役に立った。これが私に、できる精一ぱいの奉公だ。戦線からも、ばんざいであります、という無邪気なお手紙が来る。しばらくして、その兵隊さんの留守宅の奥さんからも、勿体ない言葉の手紙が来る。銃後奉公。だうだ。これでも私はデカダンか。これでも私は、悪徳者か。どうだ。
 しかし、私はそれを誰にも言えぬ。考えてみると、それは婦女子の為すべき奉公で、別段誇るべきほどのことでも無かった。私はやっぱり阿呆みたいに、時流にうとい様子の、謂わば「遊戯文学」を書いている。私は「ぶん」を知っている。私は、矮小の市民である。時流に対して、なんの号令も、できないのである。さすがにそれが、ときどき侘しく
ふらと家を出て、石を蹴り蹴り路を歩いて、私は、やはり病気なのであろうか。

***

「私は、やはり病気なのであろうか」
こんなふうに ああでもない こうでもあると 書ける人は
病気かそのうえを行ってる人だと思うのですが

「これでも私はデカダンか。これでも私は、悪徳者か。」
さんざん 主人公は悪徳者とかデカダンと人に言われたんでしょうか

でも この人の文章を読んでると その時代が 見えてきます
そして 現代にいる私には たしかなことを 知るのは
このように ああでもない こうでもあると 病気ではないだろうかと
「はっきりしないものなんだ」と 識っておきたいと 思いました

「私を信じないやつは ばかだ。」これこまるなあ
言いたい気持ちは お客さん わかりますか
デカダンって  



《 2018.07.29 Sun  _  1ぺーじ 》