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のりこーーーっさん

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父が中学校の校長先生になったのは 私が 赤ん坊の頃らしい 
母の日記からこどもが生まれるのに離れているので(単身赴任だったらしい)
心細いと書いてあったからだ
5人の子どもたちが 赤ん坊のとき どんなふうにして うまれてきた
というような話を 母からは案外聞いてはいない
「今度はどんな子が生まれるのかなあ」それが楽しみだったと
言っていたけれども

父は 赴任先から 私のために いっぱいおもちゃをかかえてきたらしい
それをみた 6つ上の兄は 「ぼくはいらんもんやもん」とすねたという
「このこにも 買ってきてやってな」母は言ったという
子煩悩なところは ここまで

父は 在職中 職員旅行に行った
その時の写真をを見れば それは楽しそうだ
浴衣姿の よっぱらいのたこのような ふにゃふにゃの写真も
父は とにかく よっぱらいになると よっぱらいそのものだった
母は こんなよっぱらいがきらいで 晩酌は一合ときめられていたのだけど
しかし そのたこは そとにでると 自由だ
父が亡くなって38年かな
父のよっぱらいに関する思い出話を かくして わたしは 語り続けている
「のりこーーーーっさん」(父が酔っぱらうと私はこう呼ばれた)父のゆびさきは 
あいかわらず ふにゃふにゃ
それらの話は 若いころは 男を見る一番の基準となり(そのわりには 
どうしたら もてるかということが 一番に変更したけどね)

で 父の持ち帰る こうしたパンフレットは いまとなっては
レトロな 時代を感じさせるもの 
このパンフレットは何年に作られたのだろう 
それはどこを見ても書いてなかった
《 2018.07.29 Sun  _  これくしょん 》