who am ?I

PAGE TOP

  • 07
  • 18

かもめ

スキャン3680.jpeg

今頃 太陽の数が 多すぎるんとちゃいまっか
で ぼやいてもしかたがないので
太宰 治にまいりましょうか
あんまり暑いので 続きを打ってみるのを
忘れてしまって

かもめ つづき

私の芸術も拠りどころが在る。
この水たまりを忘れずに置こう。
 私は醜態の男である。なんの指針をも持っていない様子である。
私は波の動くがままに、右にゆらり左にゆらり無力に漂う、あの「群衆」の中の一人に過ぎないのではなかろうか。そして私はいま、なんだか、おそろしい速度の列車に乗せられているようだ。この列車は、どこに行くのか、私は知らない。まだ教えられていないのだ。汽車は走る。轟々の音をたてて走る。イマハ山中、イマハ浜、イマハ鉄橋、ワタルゾト思うマモナクトンネルノ、闇ヲトオッテ広野ハラ、どんどん過ぎて、ああ、過ぎて行く。私は茫然と窓外の飛んで飛び去る風景を迎送している。指で窓ガラスに、人の横顔を落書きして、やがて拭き消す。日が暮れて、車室の位豆電灯が、ぽっと灯る。私はまずしい弁当をひらいて、ほそぼそたべる。佃煮わびしく、それでも一粒もあますとこ無くたべて、九銭のバットを吸う。夜がふけて、寝なければならぬ。私は、寝る。枕の下に、凄まじい車輪疾駆の叫喚。けれども、私は眠らなければならぬ。眼をつぶる。イマハ山中、イマハ浜、ー童女があわれな声で、それを歌っているのが、車輪の怒号の奥底から聞えて来るのである。
 祖国を愛する情熱、それを持っていない人があろうか。けれども、私には言えないのだ。それを、おおきい声で、おくめんも無く語るという業が、できぬのだ。

***

この小さな本の中のまたその短編を読みながら 短いのになんて長いんだろうと
思ってしまいます。どうしてかな
日本の「戦時中」は なんて現代とちがうんだろうと この半ぺーじのことでも 
「イマハ山中 イマハ浜 イマハ鉄橋 ワタルゾト思う間マモナクトンネルノ 
闇ヲトオッテ広野ハラ」
私は戦後生まれですが 母の里に行く汽車の中で この歌を歌いました
太宰治の この歌は 「乗せられて どこに行くかも知らされず なんだか おそろしい
速度の列車に乗せられているようだ」とあります
太宰治が 闇のような本を書いていると 私はそう思い 読みませんでした
でも 闇のような時を経験するのは 戦時中では そのとおりだと思いますし
現在では どこやかしこ 明るいライトに 昼も夜もないのに やっぱり闇に
とざされる いやそいうはなしはこっちにおいといて

「祖国を愛する情熱、それを持っていない人があろうか。けれども、私には言えないのだ」
ここでつづきとするわけなんですが
言えないのは なんで?

《 2018.07.18 Wed  _  1ぺーじ 》