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かもめ

かもめ 太宰 治 新潮文庫 昭和49年

これを 読もうと思ったのは ただの気まぐれです
なんてことを言っちゃって 
これは 「きりぎりす」という表紙です 
わたしは 太宰治という作家が そのまわりについている
女の人と玉川上水で自殺してとか 酒の匂いのしそうなところとか
そんなところで 受け止めていて だけども 今なお 太宰治の
人気はあるということで(あとが続かないのですが)
で 「かもめ」だけ読んでみようと

かもめ
ーひそひそ聞える。なんだか聞える。

 かもめというのは、あいつは、唖(おし)の鳥なんだってね、と言うと、たいていの人は、おや、そうですか、そうかも知れませんね、と平気で首肯するので、かえってこちらが狼狽(ろうばい)して、いやまあ、なんだか、そんな気がするじゃないか、と自身の
出鱈目(でたらめ)を白状しなければならなくなる。唖は、悲しい者である。私は、ときどき自身に、唖のかもめを感じることがある。
いいとしをして、それでも淋しさに、昼ごろ、ふらと外へ出て、さて何のあても無し、
路の(みち)石塊を一つ蹴ってころころ転がし、また歩いていって、そいつをそっと蹴ってころころ転がし、ふと気がつくと、二、三丁ひとつの石塊を蹴っては追って、追いついては、また蹴って転がし、両手を帯のあいだにはさんで、白痴の如く歩いているのだ。
私は、やはり病人なのであろうか。私は間違っているのであろうか。私は、小説という
ものを、思いちがいしているのかも知れない。よいしょ、と小さい声で言ってみて、路のまんなかの水たまりを飛び越す。水たまりには秋の青空が写って、白い雲がゆるやかに
流れている。水たまり、きれいだなあと思う。ほっと重荷がおりて笑いたくなり、この小さい水たまりの在るうちは、私の芸術も拠り所が在る。この水たまりを忘れずに置こう。


これが はじめの半ページです
「私は間違っているのであろうか。私は、小説というものを、思いちがいしているのかもしれない」
ここらへんで 「考え過ぎよ」と自分の持っている太宰治のイメージから ちょっとまゆをしかめてみせるのです
でも どこかきれいな文章だなあと
水たまりのところで 太宰治は この水たまりを忘れずに置こう そう書いているんですが 水たまりのことを忘れたら この人はどうなるのかしらと思いながら はたして
この短編を 読むことができるでしょうかね

水たまり、きれいだなあと思う。ほっと重荷が下りて笑いたくなり




《 2018.07.15 Sun  _  1ぺーじ 》