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ピカソにも心配ごとがあったようで

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詩人ラパルトの「ピカソとの17年」美術口論社 1977 を読んでいます
ピカソという芸術家は 何人かの女性を 自分の気分で ものにし
あきると ぽいとすてる それを なんとも思ってはいなかったのかしら
わたしは そう思うことがあります
ところが わたしが読んできたピカソの話は フエルナンド・オリヴィエの
「ピカソトその周辺」だとか この「ピカソとの17年」を読んでいく中で 
また 別のことを思いました
こういうことだったのかもしれない というのがありました

ピカソという人は 熱い人ではありますが 女性に関しても 作品に取り組むのと
いっしょで ひらめきがおもわず 顔を出してしまうんでしょうね
わしのことを(わしっていったんだっけ?)知ってるかね 
こういうことも云ってみたくなるのも そこにいる女性が いたからなんだ
笑ってられませんよね
 
そのひらめきは 情熱とともに 作品にいきいきとあらわれます
つぎつぎと そういうことを やっていくと 問題が起きてきます
相手の移り変わりは 絵の中に ということになりますよね

女性は そのピカソの光のもとにある間はいいでしょうけど 光を受けなくなると
弱って死んでしまったり まだ元気のある人は ピカソから去って行ったりします
ピカソは 人ですから 当然 現実では こまりますし 
「相手に愛を感じなくなっても 溢れるような思い出がある」
と ピカソが云ったと フランソワーズ・ジローのことをさして 書いてありましたね

実は ピカソは 女性のことでは たえずぐじゃぐじゃして 困っていたんじゃないでしょうか
この本は そういうところが よくでているのです

それは あたりまえのことだし 天才だとか 芸術家だということで 
困ったことはないというほうが 不自然じゃないでしょうかね

 相手に出会った時のひらめき それを活力に変えて作品にする 
しかし その後の 暗いピカソ ぐじゃぐじゃしていたのかも 
ぐしゃぐしゃピカソ いたんですね

「若いラポルトが このわしを はじめて笑わしてくれたんだよ」と
ピカソは彼女のことを 救いの女神に出会ったように 友達に言います
笑われへんほど ぐちゃぐちゃしてたんかいな それはどの女性の時でも?
困難な時の あの女性の描き方どうです? オルガのことなど 悪魔のように 絵に描いていますね
ちょいと ピカソさん と 描かれた女性に同情もします 
オルガはきっとピカソに 文句の一つも二つもいったのでしょうね 
つかみかかったのかもしれない
そうなるとピカソは ただそうした問題から逃げたいとか めんどくさいと思ったりも
オルガはフランソワーズ・ジロー(彼女の名前あってましたっけ)にも追いかけて行って
「あんた私の亭主に 手を出さないでよ」 ぐらいなこと云ったのかも

ピカソが女性問題で 絵が描けなくなったことは あったんでしたっけ?
そのことでさえも 絵に描くピカソでしたが
完全に なにごとも 絵に通ずるですよね
日記のように絵を描く ピカソは そういわれてますね

ピカソが生み出したものがすべて 金になってしまう これも
また この絵は本当にいいのかとピカソは 心配になったらしいですね
どうころんでも 心配なもんなんですね いや案外 ピカソは片方では
心配性で気が小さかったのかもしれない(ほんまかいな)

あの大きな目が 心配ごとを抱えるとその光を なくしたみたいなことも
書いてあったしなあ(どこまで想像は脹らむんや)

いやあ ピカソも悩んでいた なんですね よしよし
 
そうそう 上の作品は もちろん ピカソのではありません 
わたしの作品 寝起きの牛 キャンバスの切れ端 





《 2018.06.06 Wed  _  ちまたの芸術論 》