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一番の住みか

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この 古めかしい物たちは わたしの兵庫県の 実家にあったものです
わたしは昭和24年うまれですが 今の暮らしとずいぶん ちがうことを
そのうちを出て 東京で暮らしたり 大阪でくらしたりしているうちに
気がつくのです
とくに このおちゃびん 祖父母の時代からのものだそうです
祖父は 目が悪くなってか 注ぎ口を逆にして お茶を注ごうとしていた
そんなことを 母は 話しました
私がほんの子どもの頃は いろりもありました
だから おちゃびんも こんなに真っ黒なのでしょう

でも 実家で両親と住んでいる頃 このちゃびんのこと
不思議とも 古いとも 思いませんでした
あたりまえのように それは ちゃびんの仕事をしていました

わたしが 実家を出たのは 18歳の頃で 大学に入れてもらったからです
それからというもの 夏休みなどに 実家に帰るたびに
「なんて 田舎なんだ」と驚くようになりました
「なんて不便なんだ」とも

年月が経つ度に その実家の玄関に入った途端 現実ではない
昔話の世界に 紛れ込んだ感じもしました
母が出てくると 更にそう感じました
「なんて寒いんだ」「むかしが ある」
そう思うものの 実家をあとにする時は とても悲しくなるのです
それが 姫路あたりに来ると ほっとして きりかわっているのです
とくに 大阪に住んでいた頃は 大阪につくと 途端に「暖かい」
そう思ったものです
 
実家で生活をしている頃は そこが 唯一のホッとできるところでした
ゴロゴロしてテレビを見たり 絵を描いたり うぐいすが窓にぶつかって来るのは
なぜだろうなどと いろんなことが そこにはありました
部屋を かざってみたり 

だから 住めば都といいますが そこを出るまでは そこが一番なのです
で そこから出て 他のところに住むと こんどはそこが一番
前いたところは 不便で 寒くてと 不満がうまれてきます

わたしはなんどか住む場所を変わりましたけど そのくり返しだと
よく思います
引っ越しの一瞬は 「なんてことを」と悲しくて泣きますが いったん次のところ
にはいると しばらくして そこが一番になります

父が亡くなり 母が信州のこの家に一緒に住むようになると
母は あの実家をとても恋しがっていました
それは 私のくり返しとは ちょっとちがいます
「あたりまえやん あそこ以外に ほっとできるところは なかったのよ」
そう 周りの人は いいます

いったい すみかというのは どういうものなんでしょうね

ほかのお年寄りの人たちをテレビで見ましても とてつもなく不便そうな
雪の多い 山あいのところでも 
一番ホッとできるところと いっています
子供たちのところにいってもね 
こどもが帰って来ても 遠慮するかもしれません

「そこが一番」の理由は そこに家族がいて やりたいことを遠慮なくできる
そこなんですかね

人は年を取ると そういうふうになるのかもしれません
わたしも そうなのかもしれませんね

ちゃびんは あいかわらずです

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《 2018.05.08 Tue  _  思い出 》